「多摩織」
多摩織の概要
1.多摩織とは
多摩織は、八王子市及びあきるの市の一部の地域で、伝統の技を駆使して作られる絹織物であり、その織り方によって、御召(おめし)、風通(ふうつう)、紬(つむぎ)、綟り(もじり)、変り綴(かわりつづれ)の5品種に分けられます。
2.多摩織の特徴
多摩織は、伝統的に渋い風合いのものが多く、軽くてシワになりにくいという特徴から、日常使いに向いた織物として古くから人々に愛されてきました。
多摩織の材料
1.生糸、玉糸
2.真綿のつむぎ糸
多摩織の歴史
1.はじまり
八王子市高月町には、天然記念物に指定されている樹齢400年の桑の木があります。この地域には昔から桑が多く自生しており、古くから養蚕と織物が盛んに行われてきました。八王子は桑の都と呼ばれ、この地域では様々な種類の織物が織られ続けてきました。
また、この地域には、多摩川の支流である秋川や浅川が流れており、織物の生産に欠かせない豊富な水が確保されていました。
2.発展
江戸時代には、毎月4の日と8の日に定期的に絹市が立ち、地元だけではなく周辺地域からも生糸や繭、絹織物などが集まりました。
江戸時代中期には、江戸の繁栄に伴って人や物の流通が増大し、八王子は、きもの地の一大産地として飛躍的な発展を遂げることになります。
3.明治から昭和にかけて
明治時代に入るとジャガード織や力織機を導入するなどの近代化が図られ、八王子織物は現代産業として一気に開花しました。その一方で、数百年の歴史を伝える織物の技法もしっかりと守り続けました。
戦中戦後の混乱期を経て、壊滅状態から再出発をした八王子織物は、組合の統廃合や染色講習所(現東京都立八王子工業高校)の設立などによって地場産業としての地位を固め、昭和33年の「八王子織物工業組合」設立を経て今日に至っています。
4.国の伝統的工芸品に指定
1980年、多摩織は経済産業大臣より伝統的工芸品に指定されました。
多摩織の5品種
1.御召(おめし)
御召とは、御召縮緬(おめしちりめん)の略称で、元々は柳条縮緬(りゅうじょうちりめん)と呼ばれていましたが、徳川家第十一代将軍の徳川家斉が好んで御召になったことから御召と呼ばれるようになりました。
先染めの糸を用いた平織りの織物で、縮緬の白生地があと練で後染めなのに対して、御召は、糸の状態で精錬し、染めてから織った、先練の先染め織物です。
2.風通(ふうつう)
風通とは、異なる色の糸を用いて,二重組織の平織りとし,表と裏に同じ文様が異なる色で表れるように織ったものを言います。
3.紬(つむぎ)
紬は、くず繭から作られた真綿を手紡ぎにした糸で織られる丈夫な織物であり、糸づくり、糸染め、柄行(がらゆき)ともに素朴で、手のぬくもりを感じさせる肌合いが特徴です。
4.綟り(もじり)
縦糸をねじることで透かし模様を作る織り方です。 目が粗く通気性が良いため、夏用シャツや夏用タオルケットに使用されることが多いです。
5.変り綴(かわりつづれ)
綴織(つづれおり)とも呼ばれ、多色の緯糸を使い、複雑な模様を織り出すことができるのが特徴です。
*https://www.japan-kogei.com/tamaori-about.html より
*https://kougeihin.jp/craft/0110/ より
着るほどに風合いが増す、本物の技術で織られた多摩織
多摩川に晒す手づくりさらさらと――古くは万葉の東歌にも詠まれたほど、八王子は布や織物と縁の深い地である。奈良時代の古文書にも生糸や絹織物の産地として記され、安土桃山の時代には市に紬座が設けられていたという。歴史の香漂う八王子に、古の技を今に伝える職人を訪ねた。
くわのみやこに青あらしふく
そこは、不思議な空間だった。100年以上前、明治中期に建てられた工房兼住まいは路地の奥にゆかしいたたずまいを見せ、中庭には染め上がった練り糸が干されている。どこからともなく、とんとんからからと機(はた)の音。一瞬、民話の世界に迷い込んだかのような錯覚すら覚える。その「とんとんからから」を子守り歌がわりに育った、という澤井榮一郎さん。祖父の代から、この地で染めと織りを営んでいる。
かつて桑の都と称された八王子。900年の昔、諸国行脚(あんぎゃ)に出た西行法師がこの地に立ち寄った際、「あさ川をわたれば富士のかげ清くくわのみやこに青あらしふく」と詠んでいる。今、住宅団地が密集し大学が立ち並ぶ丘陵地帯も昔日は一面の桑畑、青々とした葉が風にたなびいていたのだろうか。
澤井榮一郎さんの自宅兼工房。100年を経ているという日本家屋は、どっしりと揺るぎない
中庭では、染め工程半ばの糸が風に揺れていた
立ち居振舞いをしても、しわにならない着物
多摩織の5品種、お召(めし)・紬(つむぎ)・風通(ふうつう)・変り・綟り(もじり)のうち、お召織は全国の伝統芸能に従事する人たちの需要が高い。糸に特殊な強い撚りが入っているため、その反物で仕上げられた着物はしわにならず滑らか、所作がしやすいのだ。とくに能や歌舞伎の仕舞い、踊りなどに使われることが多い、と澤井さんはいう。
「伝統的な工芸品の底に流れているものは、みな同じでしょう。本物の原材料を使って本物の仕事をすること。ごまかしたらおしまい、必ずボロが出るからね」
綟り織は、別名粋紗ともいう。一流の芸妓さんが新橋などのお座敷に出るとき、この粋紗の着物を愛用する。じめじめ蒸し暑い季節、肌触りがさっぱりしているからと麻の着物を選ぶと、動いているうちどうしてもしわが出てしまう。それは、すこぶる無粋なこと。立ち居振舞いをしてもしわにならない、それが多摩織の一つの大きな特長だ。
織物は、経糸と緯糸を一定の規則にしたがって交錯させたもの。澤井さんが手にしているのは杼(ひ)、織るときに緯糸を通すために使う道具だ
手をかければかけるほど、絹は応えてくれる
「小僧時分は随分鍛えられたよ」。澤井さんは修行時代を振り返って語る。
「銀座や柳橋の呉服商へ、問屋の人とよく一緒に行ったもんだ。呉服屋にはおっかない番頭さんがいてねえ。ちょっとでもできの悪いものなんか持っていった日には、反物を放り投げて怒鳴る。だけど、極上のものを持っていくと、料亭でご馳走してくれるんだ。呉服屋さんにも大切な使命があるからね。固定客に悪いものは出せない。今にして思えば、何がよくて何が悪いのか、ものを見る目を養わせてもらったんだね」
天然の絹の魅力は扱った者にしかわからない、とも。本糸・玉糸・真綿の紬糸という3種の糸を組み合わせていくのだが、その作業はまさしく糸と心通わせながら行うもの。気持ちをこめ手をかければかけるほど絹は応えてくれる、というのだ。
本物は、着れば着るほど風合いがよくなっていく
澤井さんの工房には、美術・工芸・服飾などを専攻する若い人たちが技術を習いにきている。生まれたときから何でもそろっていて、足りないものは買えばすむ。そんな世代だからこそ、自分で何かを作ること、生み出すことに新鮮な喜びを感じるのかもしれない。
「ごく自然なことでしょう。50年たとうが100年たとうが、本物は続いていくんですよ」
澤井さんの口からは、何度も「本物」という言葉が出た。ごまかしものは短命、本物だけが時代を貫いて生きていける――。厚みがなくて安っぽいテカテカの化学繊維に慣れきって、生き方まで薄っぺらくなってはいまいか。ふと我が身を振り返って、どきりとする。
着物だろうが洋服だろうが、ぱっと見ただけではなかなか真贋はわからない。でも、その見分け方は単純明解だと澤井さんは笑う。
「着れば着るほど風合いがよくなってくるのが、本物。偽者のほうは、着れば着るほどくたびれてしまう。ただの消耗品だよ」
日常で和服に親しむ機会が減っている今だからこそ、本物を見て、触れ、実際に袖を通してみたいもの。多摩織は、紛うことなき本物の輝きを放っている。
でき上がった反物の風合いを確かめる澤井さん
お召織の技法を応用して織ったスカーフ。絹は、比重が軽いうえに暖かいので好評だ
職人プロフィール
澤井榮一郎
1921年生まれ。
着てくれた人にほめられたときが、どんな勲章をもらうよりうれしい。息子さん夫婦とともに、染め・織りの仕事を続けている。
こぼれ話
織物から生まれた言葉たち
私たちはふだん、さして気にも留めず「油を売る」「間髪を入れず」などの慣用表現を使っています。じつはそのなかに、織物に関する言葉がけっこう含まれているのです。たとえば、「腕に“より”をかける」。自信のある腕前をいっそうよく示そうと張り切ることです。“より”とは、まじえてねじり合わせることで、糸を撚(よ)ってより丈夫な織物に仕上げることを連想させます。「くだを巻く」は、糸車の管を巻く音がぶうぶうと音を立てることに結びつけて、酒に酔ってとりとめのないことをくどくど言うことです。また、絣柄を織る前の柄合わせの工程では、綾をとる作業をします。これがそのまま、糸でいろいろなものの形を表現する女の子の遊び「あやとり」になっていったのでしょう。日常生活のなかから生み出された言葉には、暮らしの実感がこもっています。こうして見ると、織り物が人々の暮らしの中核にあったことがうかがい知れます。
*https://kougeihin.jp/craft/0110/ より
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