「赤髭 バルバロッサ・ウルージ」
(1474〜1518)オスマン帝国
赤ひげ海賊団の船長でキリスト教徒の国で恐れられていた。スペインとの戦いで隻腕になったが、支援して貰っていたアルジェリアの王子を殺害して自身が王となった。スペインとの激しい戦いで、壮絶な死を遂げた。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E8%B5%A4%E9%AB%AD%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B8 より
オルチ(あるいはウルージ)(トルコ語: Oruç Reis、アラビア語: عروج بربروس、スペイン語: Arrudye、1474年 - 1518年)は、16世紀初頭に地中海で活動したバルバリア海賊である。オスマン帝国からアルジェのベイ(軍司令官)、地中海のベイレルベイ(提督)の地位を与えられた。同じバルバリア海賊のバルバロス・ハイレッディンは彼の弟である。
ヨーロッパ人からは「バルバロッサ(Barbarossa、トルコ語ではバルバロス)」の仇名で呼ばれたが、仇名の由来は彼が赤ひげを蓄えていたことに由来するとも、部下からの呼び名である「ババ・オルチ(オルチの親父)」が訛ったものとも言われる。
オスマン帝国領のミディッリ島(現在のレスボス島)の出身であり、1518年にアルジェリアのトレムセンでスペイン人と戦い、落命した。
*Wikipedia より
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