「十日町明石ちぢみ」
Description / 特徴・産地
十日町明石ちぢみとは?
十日町明石ちぢみは、新潟県十日町市周辺で製造されている反物です。繊細な薄物であるがゆえに、製造には高度な技術と正確な作業が要求されます。
19世紀の終わりごろ、京都の西陣の夏反物をヒントに試作が作られ、明治中期頃から産業として製造、販売されるようになりました。
十日町明石ちぢみの特徴は、緻密に織り上げられた美しい図柄と、強撚糸を施した最高級の緯糸から生まれる、清涼感のある手触りです。糸の原料となる繭は、最初と最後の部分には汚れや不純物が混じっていることがあり、こうした糸は使うことができません。強く撚糸をかけると、汚れが目立ってしまうからです。そのため、十日町明石ちぢみでは、不純物の少ない中央部分の糸だけを贅沢に使い、精密に柄付けされた糸を熟達した職人技で精緻に織り上げていきます。そうすることによって、繊細な手触りを持った反物が生み出されるのです。
History / 歴史
新潟県の十日町市周辺では、古くから製糸が行われていたと考えられています。1500年ほど前の馬場上遺跡から、糸に撚りをかける道具である紡錘車が発見されているからです。
江戸時代にはこの地方の越後ちぢみが武士の式服に選ばれ、明治初期になると、農閑期の農家の内職として、織物の生産が定着していきました。その後、京都の西陣から持ち帰られた夏反物に着想を得て、新商品のための研究が行われます。
すでに十日町透綾(とおかまちすきや)という織物があったため、この織物が研究によって改良されていきました。この時期から、緯糸に強撚(きょうねん)をかける技術が研究されます。
その後、この技術を応用した透綾ちりめんの試作に成功したのを受け、明石ちぢみの生産が本格化していきました。明治中頃には市場にも製品が出回り始め、この地方の特産となります。1982年(昭和57年)には十日町絣と共に国の伝統的工芸品に指定されました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tokamachiakashichijimi/ より
せみの羽のように透き通った織物、明石ちぢみ
十日町明石ちぢみは、さわやかな風合いを持つ織物です。長き冬で雪に閉ざされるがゆえに、織物はこの地に根付きました。その技は他にはない風合いのちぢみを生み出します
織ることで作り出される世界
明石緯(あかしよこ)と呼ばれる緯糸(よこいと)を使い、しぼ(しわ)を出す十日町明石ちぢみ。独特のしぼ、涼しげな色合い。明治の時代より夏物の高級着尺としての地位を築き上げてきているのもうなずける。今回は伝統工芸士の資格をもつ阿部茂壽さんから明石ちぢみについてお話を聞いた。
一世を風靡した十日町明石ちぢみ
もともと、越後では、よこ糸に強い撚(よ)りをかけた越後上布という上質の織物が作られていた。その技術を、柏崎の縮問屋洲崎栄助が目の当たりにしたことから、全ては始まる。彼は、京都の西陣で研究している明石ちぢみは、むしろ十日町で織る方が適していると考え、十日町の佐藤善次郎に裂見本(きれみほん)を見せた。それから、研究が重ねられ、明治22から23年頃になると明石ちぢみは、市場に出すまでのものにいたる。以来、明石ちぢみは一世を風靡(ふうび)する。当初は、余りに透きすぎると言うので、専ら花柳界方面で受けたという。明治34年新聞付録で掲載された「流行夏衣歌」でも「新柳橋の芸者さん、紋織上布に紺明石・・・」と歌われたことからも、芸者などの玄人筋に受けるような薄さであったことがうかがえる。それからも、製品の品質はたゆまぬ向上心により上げられ、次第に一般にも広く流行するようになる。とはいえ、透けるような薄さは今でも変わらず「冷房のきいてるところが多くなったから、涼し過ぎるといわれる」ほどだ。
着物を着たとき、体が若返るような感じがする
明石ちぢみは、緯糸に強い撚(よ)りをかけることで、明石緯(あかしよこ)と呼ばれる独特の糸を作る。この糸を緯糸として織上げられた反物が、仕上げとして、手で湯の中でもまれる。この「湯もみ」することで、反物にしぼ(波状のしわ)が作りだされるのだ。「大抵の人にはしわにしか見えないんだろうけど」というこのしぼこそ、ちぢみの最大の特徴である。しぼがあるからこそ「生地がさらさらして肌にくっつかない」という肌触りが生み出されるのだ。逆に、しぼができるために「複雑な柄はできない」と高橋さん。しかし、複雑な柄などでなくとも、絣の技術は盛り込まれ、繊細な模様が織られていることに変わりはない。何より、「せみの羽のように透き通った織物」は、見ているだけでため息が出てくる。汗を吸い取り、風通しがよい明石ちぢみこそ、日本のじめじめとした夏に着る着物としてうってつけな織布である。
夏物はいい糸を使わないと
阿部さんいわく「夏物は、特にいい糸を使わないと織りむらができてしまう。」また、せっかくいい糸を使っていたとしても「糸の張力が違うとむらになるし、1本でも切れたら、切れた部分だけ抜いて、また元通りに順番を直していってやってやらないといけない。」この言葉だけでもいかに作業が慎重を要するかが想像できる。織子が一反織るのだけでも10日ほどを要すると言う。「のんきっていうか、そうしなければ良い反物ができないってこともあるけど。」長い時間の中にこめられた気の遠くなるような作業の一つ一つが、この十日町明石ちぢみを完成させてゆく。
何があっても続けていきたいね
「自分が作った着物を着た人を見たときはうれしいねぇ。身内に会ったような気分になる。呉服は同じものはほとんどないしね、すぐにわかるよ。」と顔をほころばせながら話してくれた阿部さん。自分が作った着物を着ている人には、ついつい声をかけてしまうそうだ。そうやって声をかけたお客さんから“着やすくていいわ”といわれるのが嬉しいと阿部さんは話す。これからのことについて尋ねてみると、穏やかながらも目つきは真剣に「量もできないし、人の真似はしないし、善かろう安かろうというものをつくらんと。」他のものではない、“十日町明石ちぢみ”たるものを作りたいという思いがそこに垣間見える。また、「時代にあったすきっとしたものをつくっていきたいね。涼しい感じの柄。」という声には、まだまだこれからだという力強さがこめられているようだった。
職人プロフィール
阿部茂壽
昭和4年生まれ。
一度教員になるも、18歳のころから父親を手伝いこの世界に入る。
*https://kougeihin.jp/craft/0116/ より
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