「玉座の娼婦 エカチェリーナ二世」
(1729〜1796)ロシア
夫に対してクーデターを起こして、女帝に君臨した。領土の拡大に積極的で、オスマン帝国との戦争に勝利してクリミア半島を手にしている。肉食系だったようで、その日の気分で毎晩男を変えていたと言う。公式の愛人は10人で、それ以外にもたくさんいた。孫から「玉座の上の娼婦」と侮蔑された。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E7%8E%89%E5%BA%A7%E3%81%AE%E5%A8%BC%E5%A9%A6%E3%82%A8%E3%82%AB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E4%BA%8C%E4%B8%96 より
エカチェリーナ2世(エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ、ロシア語: Екатерина II Алексеевна, ラテン文字転写: Yekaterina II Alekseyevna (イカチリーナ・フタラーヤ・アレクセーエヴナ)、1729年4月21日(ロシア暦)/5月2日(グレゴリオ暦) - 1796年11月6日(ロシア暦)/11月17日(グレゴリオ暦))は、ロマノフ朝第8代ロシア皇帝(女帝)。在位は1762年6月28日(ロシア暦)/7月9日(グレゴリオ暦) - 1796年11月6日(ロシア暦)/11月17日(グレゴリオ暦)。夫は第7代皇帝ピョートル3世ならびにグリゴリー・ポチョムキン(秘密結婚)、子は第9代皇帝パーヴェル1世ほか。
プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝(ヴェリーカヤ、Вели́кая)と称される。
帝政時代にロシア帝国国立銀行が発行していた100ルーブル紙幣の肖像に描かれていたほか、沿ドニエストル共和国の国立銀行が発行する500沿ドニエストル・ルーブルにも描かれていた。
私生活の面では生涯に約10人の公認の愛人を持ち、数百ともいわれる愛人を抱え、夜ごとに人を変えて寝室をともにしたとする伝説もある。孫のニコライ1世には「玉座の上の娼婦」とまで酷評される始末であった。
*Wikipedia より
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