「サラセン人の蒼ざめた死 ニケフォロス二世」
(913〜969)ローマ
東ローマ皇帝。イスラムから地中海を奪還した。サラセン人も彼には恐怖するほどの活躍を見せていたから、この異名をとった。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%83%B3%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%92%BC%E3%81%96%E3%82%81%E3%81%9F%E6%AD%BB%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%82%B9%E4%BA%8C%E4%B8%96 より
ニケフォロス2世フォカス(ギリシア語:Νικηφόρος Βʹ Φωκάς, Nīkēphoros II Phōkas, 913年 - 969年12月10日)は、東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:963年 - 969年)。中世ギリシア語読みでは「ニキフォロス」となる。
*Wikipedia より
イスラーム勢力との戦い
即位したニケフォロスは積極的な対外政策を推し進めた。皇帝となってからも強力な重装騎兵軍団をつくり上げてイスラーム勢力を相手に戦い続け、アレッポ、タルソスを占領した。さらに、フォカス家の家臣団はヘラクレイオス王朝のヘラクレイオス1世の時代以来300年以上も帝国から離れていたシリアのアンティオキアを奪回するなど、帝国領の拡大に成功を収めた。かつてのキリスト教五大本山 のひとつでオリエント有数の大都市であったアンティオキアの回復にコンスタンティノポリスの市民は歓喜した。市民たちは、凱旋の行進を行う皇帝を喝采して、
おお、明けの明星が昇りはじめた。朝の星が昇る。彼の瞳に太陽の光が輝く。その前では、サラセン人も恐怖に蒼ざめて死ぬ。
という歌をうたったといわれる。なお、歌詞中の「サラセン人」とは、イスラーム教徒(ムスリム)を指している。敬虔なキリスト教徒であるニケフォロスはまた、現在まで続くアトス山の修道院共同体を後援した。エドワード・ギボンは「この軍勢をローマ軍と呼ぶことに躊躇しない」と評している。
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます