「羽越しな布」
Description / 特徴・産地
羽越しな布とは?
羽越しな布(うえつしなふ)は、山形県鶴岡市関川地区・新潟県村上市山北地区で作られている織物です。互いに隣り合う山形県(羽前)と新潟県(越後)の2地域を合わせ「羽越(うえつ)」と呼ぶことからその名がつけられました。
東北地方の日本海側に古くより自生しているシナノキ、オオバボダイジュ、ノジリボダイジュの樹皮の内側にある靭皮(じんぴ)より糸を作り、その糸を布状に織りあげたものが「しな布」です。木の皮を使用した織物では、日本最古のものとされています。
羽越しな布の特徴は、樹皮から作られた繊維ならではの素朴な風合いと手触り、そして耐水性に優れ、丈夫でだということです。また、完成までにとても長い時間を要します。梅雨の時期にシナノキを伐採するところから始まり、夏から秋にかけて靭皮より繊維を取り出し、冬になってから糸となり、その後春までに織り上げるというその工程は、実に20以上に及びます。
昔は、穀物袋や濾し布、仕事着など家庭用品が作られていました。現在では、バッグや袋もの、財布や装飾雑貨、タペストリーなど現代の暮らしに適した製品が作られています。
History / 歴史
羽越しな布 - 歴史
草や木からできた繊維で織物をする技術は、縄文時代から各地にあったとされていますが、しな布が織られるようになった時期や、いつどのように現在の産地に伝えられたのかなど、発祥の詳細はわかっていません。しかし、しな布が沖縄の芭蕉布や静岡の葛布と並び「三大古代織」に数えられていること、平安時代の文書の中に「信濃布」というしな布を示す言葉があることから、すでにその当時には作られていたことが推測できます。
日本の各地で生産されていたとされるこのような古代布も、木綿や絹、戦後には化学繊維などが普及していゆくなかで、次第に国内から姿を消すかたちとなりました。
昭和の後半、しな布を民芸品に加工することでその良さが見直されてきました。1985年(昭和60年)以降、鶴岡市関川地区内に「しな織りセンター」を建立し、地域一体となってしな布の生産を続けています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/uetsushinafu/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0103/ より
産地 山形県 鶴岡市、新潟県村上市
歴史 しな布はいつ頃から織られるようになったのかは、定かでありませんが、平安時代に編纂された延喜式(えんぎしき)の貢物として信濃布が記されていることから当時にはすでに織られていたと思われます。
このように昔は古代布として全国各地で生産されていたようですが、木綿や絹の普及、戦後の化学繊維の大量生産により多くの産地から姿を消しました。
今なお残る山里の生産地では、冬は雪に覆われるなど厳しい自然条件の中での女性の貴重な現金収入源として、必要不可欠な産業でした。
現在も昔と変わらぬ技術・技法が連綿と受け継がれ、人を惹きつける自然素材の布が織られています。
特徴
羽越しな布は、山間部に生育するシナノキの樹皮から靱皮を剥ぎ取り、その繊維を糸にして布状に織り上げたもので、ざっくりとした手触りと落ち着きのある風合いが特徴です。
昔は衣類や穀物を入れる袋、酒・豆腐等の漉し袋、蒸籠の敷布など、主に生活用品として幅広く使われていましたが、現在はその特性を生かした帯、暖簾、バック、帽子など、生活に彩を与える趣味の工芸品として生産されています。
産地PR・最近の取り組み、課題など 鶴岡市の関川地区では、地域をあげてしな布の生産に取り組んでおり、後継者育成を目的とした研修事業や原材料でもあるシナノキ造成地への植林作業など将来を見据えた取り組みを継続しながら産地の振興を図っています。
また、デザイン性の高い新たな商品づくりを目指しており、今後の事業展開が大いに期待されています。
一方で、従事者の減少、高齢化は直面する深刻な問題であり、しな布を産業として発展・拡大させるための克服しなければならない大きな課題です。
*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/yamagata_05.htm より
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