「大王 フリードリヒ二世」
(1712〜1786)ドイツ
プロイセン王国の王。弱小国だったプロイセン王国をヨーロッパ随一の大国に成長させたことで「大王」と呼ばれる。芸術を愛する子供であったが、軍人王と呼ばれる父に厳しく育てられた。大の女嫌いで、オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザベータ、フランスのポンパドュールを三ヶ国を相手することになり、かなり追い詰められた。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E5%A4%A7%E7%8E%8B%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E4%BA%8C%E4%B8%96 より
フリードリヒ2世(Friedrich II., 1194年12月26日 - 1250年12月13日)はホーエンシュタウフェン朝第4代ローマ王(ドイツ王、在位:1196年12月- 1198年)、第2代シチリア王フェデリーコ2世(Federico II)(在位:1197年 - 1250年)、第二次ホーエンシュタウフェン朝初代ローマ王(通算第6代、在位:1212年12月9日 - 1220年)、そしてシュタウフェン朝通して第3代にして最後となるローマ教会の皇帝フリデリクス2世(戴冠:1220年11月22日)。先代皇帝ハインリヒ6世とシチリア女王コスタンツァの子。さらに第6回十字軍でエルサレム王として戴冠(1229年3月18日)。歴代皇帝と異なりイタリアを本拠とした進歩的な君主で、イタリアの中央集権化とゲルマニア(ドイツ)の分割統治を推し進めた。しかし安定した政体を次代に残せないまま崩御、イタリア並びにゲルマニアは中央政権を欠いた都市国家群及び領邦国家群と化し、帝位とイタリア王位はハインリヒ7世即位まで60年以上も途絶える。(大空位時代)
*Wikipedia より
彼本人は芸術家肌の典型的な啓蒙専制君主で、多くの功績により同時代の人々からも「大王」とあだ名された。またフランスの哲学者ヴォルテールと友誼を交わしたことでも有名である。ベルリン郊外のポツダムにサンスーシ宮殿というロココ式離宮を作り、そこで学者や芸術家との交遊を楽しんだ。自らもフルートを演奏していたという。敵国の君主にすら信奉者がおり、たびたび窮地から救われた。飢餓対策としてドイツにじゃがいもを広めたことでも知られる。
*https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96%28%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%29 より
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