「置賜紬」
歴史
置賜紬の起源は、8世紀初めに遡ります。慶長年間(1596年~1615年)、上杉景勝の奨励により産地が確立されました。素朴で伝統的な技法を用いて白鷹板締小絣、米琉板締小絣、緯総絣、併用絣および紅花などで染色する草木染紬などが生産されています。
特徴
置賜紬は山形県南部に位置する置賜地方で生産される織物の総称であり、その歴史は古く上杉家中興の祖上杉鷹山公の奨励により発展しました。
古くから受け継がれた技術、技法は地区別に異なります。白鷹町は米琉板締小絣・白鷹板締小絣、長井市は緯総絣・併用絣、米沢市は草木染紬・紅花染紬で、いずれも先染の平織で野趣に富む素朴な風合いが特徴です。
現在、「鷹山絹」(ヨウザンギヌ)のブランド名などで新繭を使用した新製品を開発しており、近年、手づくりのよさが見直されてります。
産地
山形県 米沢市、長井市、白鷹町
*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/yamagata_02.htm より
*https://kougeihin.jp/craft/0102/ より
Description / 特徴・産地
置賜紬とは?
置賜紬(おいたまつむぎ)は、山形県の南部、置賜地方にある米沢、白鷹、長井の地区で作られている織物です。江戸時代初めより、織物の原料である青苧(あおそ)の生産地として出荷を行っていた置賜地方は、江戸時代後期には自給自足による織物の産地を目指しました。
その後、青苧に代わり桑による養蚕が盛んになったことで絹織物の産地へと変化を遂げるとともに、本格的に地場産業として発達していった工芸品です。
置賜紬の特徴は、米沢、白鷹、長井の3つの地それぞれで受け継がれた技術や技法が異なる点です。米沢は、県花の紅花や藍、刈安(かりやす)など自然の染料を用いた「草木染紬」や「紅花染紬」、白鷹は、国内ではここでしか見られない貴重な「板締(いたじめ)染色技法」、長井は、「緯総(よこそう)絣」と「経緯併用(たてよこへいよう)絣」、琉球織物の影響を強く受けている「米琉絣(よねりゅうかすり)」という技法が受け継がれてきました。それぞれ工程は違いますが、いずれも先に糸を染める先染めを取り入れ、平織りで手間をかけ織り上げるという共通点があります。
History / 歴史
置賜紬 - 歴史
米沢では、江戸時代初期にすでに青苧や紅花などが栽培されていました。1601年(慶長6年)、米沢藩主の上杉景勝は、これらを特産物として奨励し、織物の原料として越後などに出荷しました。その後の江戸時代中期、第9代藩主の上杉鷹山は、自給自足の織物産地を目指しました。1776年(安永5年)には越後より職人を迎え、織物の研究を進めるとともに女子に技術の習得をさせたのが置賜紬の始まりです。
当初は、青苧が原料の麻織物が生産されていましたが、上杉鷹山の藩政改革によって養蚕が盛んになると、徐々に絹織物へと移り変わっていきました。さらに明治時代に入ると、米沢に近く養蚕が盛んであった白鷹、長井でも織物が作られるようになり、絣(かすり)の高度な技術を習得していきます。
大正時代から昭和初期にかけて、米琉絣や板締小絣(いたじめこがすり)が全国的に知られるまでに発展しました。
その後、1976年(昭和51年)に、3地域合わせて「置賜紬」と統一する運びとなり、米沢の「草木染」、長井の「緯総絣・経緯併用絣」、白鷹の「板締小絣」が置賜紬と定義づけされました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/oitamatsumugi/ より
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