第242回 2020年1月7日 北海道 札幌の焼き物 個性が光る 北の大地の器 南沢奈央
番組内容
北海道、札幌の焼き物。個人作家が多く、自由な風土の中、個性をいかした様々な製品が生み出されている。女性らしい柔らかさを表現したいと作られたのは、レースの模様が華を添えるアンティーク調の器。使いやすさを大切にして作られたのは、深い青のグラデーションに包まれたカップ。独学で焼き物を追及した作家が作ったのは、素朴な土の風合いと繊細な網目模様が印象的な器。札幌の焼き物の魅力を南沢奈央さんがリサーチする。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202001071930001301000 より
今回のイッピンは「北海道 札幌の焼き物」。
現在、北海道には旭川市の「大雪窯」など300程の窯があると言われています。
道内での焼き物作りは江戸時代末期の安政年間に「函館」で始まったと言われています。
当時は「箱館」という地名でしたので「箱館焼」と言いました。
安政6(1859)年に箱館奉行が地場産業を育てようとして幕府から許可を得て、美濃(岐阜)から来た足立岩次らが箱館谷地頭で、道内初の窯業を本格的に開始しました。
「箱館焼」は磁器中心で染付の小物中心に作られ、本州に北前船で運送されました。
しかし、冬の気候や資材調達に経費が掛かり過ぎるなどの経済的理由から「箱館焼」はそれほど長続きせず、3年程で閉鎖となりました。
小樽では明治に入ってから3窯が開かれました。
明治5(1872)年に小樽の土場町で「土馬焼(後志焼)」(愛知常滑の本多桂次郎・守清、~昭和18年まで)、大正7(1874)年には「入船焼」(石川県九谷焼の松原新助・陶光)、そして明治32(1900)年に北海道小樽に渡った越後出身の白勢慎治氏が昭和10(1935)年に「小樽窯白勢陶園」を始めました。
美しい青緑色からファンも多かったのですが、後継者難から、平成19(2007)年に幕を閉じました。
現在「小樽窯白勢陶園」の建物は、ガラス工房の「幸愛硝子(ユキエ ガラス)」が工房とギャラリーとして再活用しているそうです。
札幌では大正3(1914)年10月に円山村 (当時)に「札幌陶器工業株式会社」が誕生し、「札幌焼」が始まりました。
その後酒類を扱う「三国屋南部源蔵商店」の支配人・中井賢治郎によって買収され、「中井陶器工場」を開設し、三国屋にとっての必需品である徳利、甕、茶器などを生産しました。
しかし、大正14(1925)年10月の三国屋倒産や本州からの陶磁器流入が影響し、閉鎖となりました。
昭和52(1977)年に中井陶器工場の中心的陶工だった涌井辰雄さんが大正期の陶器の破片を元に「札幌焼」を復活。
涌井さんが亡くなられた後はお弟子さんの阿妻一直さんが「札幌焼」の名を引き継いで「札幌焼盤渓窯」として作品制作を行っています。
なお、札幌市旭山記念公園内に「札幌焼窯跡」で、さっぽろ・ふるさと文化百選のNo.048として選定されています。
1. NUIT (原田聡美さん)
「NUIT(ニュイ)」とは仏語で「夜」を意味します。
手にした心地よさと驚きを大切に、当たリ前の使いやすさでだけではない、印象的な器づくりをしているそうです。
レースの模様が華を添えるアンティーク調の「Lace」シリーズが紹介されるようです。
2. 札幌焼盤渓窯 (阿妻一直さん)
深い青のグラデーションのカップを作るのは「札幌焼」を復活された涌井さんの弟子・阿妻一直さん。
阿妻さんは岩見沢市の「こぶ志焼」や加藤唐九郎・濱田庄司が復興した窯としても知られる秋田県の「楢岡焼」を学びました。
「楢岡焼」は美しく深みのある青色は「海鼠釉」という釉薬を使う所に特徴があります。
3. 橋本忍さん
独学で焼き物を追及している作家さん。
素朴な土の風合いと繊細な網目模様が印象的な器を作っていらっしゃいます。
*http://atmarymead235.seesaa.net/article/473001138.html より
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