富田林市廿山(つづやま) 「おかえり地蔵」
ほんとうは権兵衛(ごんべえ)地蔵さんですが、平尾街道(富田林街道)で通勤されている方々が、夕方通勤を終えて疲れてお帰りになられる最後の峠のカーブで、このお地蔵さんが暖かく迎えてくれるので、通称「おかえり~地蔵」さんとよばれているらしい...
富田林市若松町 「歯痛の神さん」
これまたほんわかした観音さま。近在の方々のお参りが絶えません。
実は南河内地方を中心とした西国観音霊場代替信仰で、江戸~昭和期の西国三十三度巡礼行者による巡礼満願供養塔(宝篋印塔)が街道沿いや町の周辺に建之されています。
塔身部分に如意輪観音さまが居られ、ひたすら半跏思惟のお姿をされています。「思惟(しい、しゆい)=もろもろの衆生を救わんとただひたすら思索をこらされているお姿」が、ややもするとどうも「歯が痛くて頬をさすっておられる」ようにもみえますので、「歯痛の神さん」になったんだと思われます。
富田林市甲田 「チリンサン」
丸石5つ。甲田のだんじり小屋の前に、ずっとずっと昔からおられます。やんちゃが石を動かしていたずらしても、いつのまにかこの形に戻っています。
旧錦部郡特有の賽の神さんのようです。石川の川原の自然石、なぜか砂岩質の丸石を使用し、固定しないでおいてあります。
賽の神は、町の入口あたりにおられ、町に侵入する厄とか災いを防ぐ、れっきとした神さまです。
富田林市嬉 「腰神さん」
腰神神社の御神体は拝殿の後ろの山の巨岩。イラストで描ききれないので「由緒」でご勘弁ください。
『観心寺にいた楠木正成が後醍醐天皇の幕府討伐の途中、急に馬の腰が立たなくなりました。馬を藤の木につないだところ、腰が治ったそうです。』(出典:「腰神神社由緒書」 上野亀雄氏・中川正博氏記)
楠公さんの愛馬 千早丸をつないだ「馬つなぎの藤」は、老木ながら今も現存します。
富田林市錦織北 「耳薬師さま」
右手に耳かきを持ち、左耳をそばだてている薬師さま
ほんとうはここまではされていませんが、『富田林の民話』でも紹介されているほどの有名な「耳薬師さま」です。
耳の病気に霊験あらたかということで、地元の「耳薬師講」の方々が、維持管理をされています。
大阪大谷大学の構内にありにありますので、構内に入られるときは守衛さんにひとことその旨を告げてください。
【イラスト メイキング】 イラストを作るまでの、現地調査の写真です。
☆画像をクリックすると大きくなります。
まだまだございますので、またの機会に第3弾をご紹介させていただきます。
*イラストは、アブラコウモリHの家内
2015.11月02日 ( HN:アブラコウモリH )
誰も来てなかったですね。私は平野区ですので車で来てます。