アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「他人の不幸は蜜の味」…なにも立証しなくても

2020年07月13日 | Weblog
 「生きがい」は、千差万別。他人の生きがいを笑うことも、自分の生きがいを笑われることもありません。
 私の生きがいの一つは、御存知「自慢」です。何か自慢のタネはないか、キョロキョロしています。魚など釣ろうものなら、かなりの長期間にわたって自慢し続けます。釣り上げたとき70cmの魚でも、翌日は、72cmになり、1か月後には、「80cmの魚を釣ったぞ!」と、成長させます。このように、自慢も、静止画像ではつまらない、立体的かつ動きがなければ。
 効果的な自慢には、テクニックっうものが必要です。いわば、「知恵がなければ自慢はできぬ」と、いうところでしょうか。
  日めくりに、「自慢は知恵の行き止まり」と言う格言が書いてありました。私に喧嘩を売っているようです。「自己満足の思い上がりは、それ以上の知恵も進歩もナッシング。人間、自慢をするようになったらおしまいだ」と…。ひどい言いがかりです。自己満足していないから、70cmの魚を成長させるのです。知恵も、進歩もあるから、80cmに成長させるのですぞ!
 
 <自慢に対する攻撃シリーズとして…>
 ・自慢高慢馬鹿のうち
・自慢高慢酒の燗(韻をふんだだけ?)
 ・自慢高慢ばかの行き止まり
・自慢は知恵の足らぬ大馬鹿
 ・高慢は出世の行き止まり
 こうもこっぴどくいじめなくてもいいと思うが!「ばか」とか「知恵が足りん」とか「行き止まり」とか…言葉の暴力です。日めくりの会社め、来年は買ってやらないぞ!
  米科学誌「サイエンス」に発表された、放射線医学総合研究所、東京医科歯科大、日本医科大、慶応大の共同研究・・・
 「妬(ねた)ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働く」 
  要約すると…他人の成功は妬ましく、他人の不幸は何とも嬉しい。というところでしょうか。早い話が、「他人の不幸は蜜の味」日本に古くからあることわざです。科学的に証明されたというところです。
  これは…人間は、自分は幸せになりたいが、他人は不幸になればいいと願っているともいえます。恐ろしいことを立証してくださったものです。
  となると、「人間は、本質的に自慢したい。他人を羨(うらや)ましがらせたいという欲求を持っている」ということになります。よしよし。
  他人の不幸を喜ぶのは、いうまでもなくダメです。武士道に反します。
 しかしBUT!本能ともいえる「自慢したい」については、もっともっと開放してもいいのではないか?
 自慢には、悪い自慢と良い自慢があると考えます。悪い自慢は、「自分の努力とは関係ないもの」「金銭や物資に関するもの」。良い自慢は、「汗水垂らした成果」。具体的には、「オラの家は、大地主で、金持ちじゃ」これは典型的な悪い例。良い例は、「オラ、70cmの魚釣ったど」…どうしてこれが良い例か?魚釣りへ行くという行為自体がまず自慢していいです。道具・エサを工夫して用意しますから知恵が必要。早起きして釣り場へ、寒い中辛抱し、魚との知恵比べで大物をゲット。努力の結晶ですから、大いに自慢しても良いのです。 
  「自慢は知恵の行き止まり」をはじめとする、自慢こき下ろしことわざの反対の意味のことわざとして、「自慢は知恵の積み重ね」を広めてほしいです。
  自慢を擁護していますが、本来「自慢」は、武士道に悖(もと)るものです。 ですから、私の「自慢」は、「ユーモア」のつもりです。ダブーである「自慢」という言葉を使って…早い話が、ボケです。「そんなもん、自慢になるか、ボケ!」と、いうツッコミを期待しての自慢です。「自慢にもならないことを自慢する人」を演出することによって、対人関係に「和み空間」が出来る。「あの人があれだけバカなのだから、自分ももっとバカになっても大丈夫だな」このような安心感を相手に与える…。
 「自慢じゃないけど…」と、話し始める人がおります。自慢するわけではないがというつもりでしょう。しかし、これって自慢話を始める前置きですよね。質の高い自慢を聞きたいですね。