アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

中国、韓国の追随を許さない日本の…

2020年07月20日 | Weblog
 およそ、30年も前のことです。日本で、ガーナ共和国の民族打楽器のイベントがありました。ガーナから当時は無名だった、カクラバ・ロビさんが来ていました。私は、通訳の手伝いとして呼ばれておりました。このときは、大汗をかきました。なぜか?ロビさんの英語なんですが、「学校教育は英語で受けた」のだそうですが、母語が現地語(アカン語、モシ・ダゴンバ語、エウェ語、ガー語など、部族によって言葉が違う…)ということもあり、なかなか聞き取れず、何度も確認しなければなりませんでした。来日当初から随行している通訳は、かなり適当にやってましたのでこちらも少しは気楽になりましたがね。
 ロビさんは、ガーナのロビ族のコギリの名手(オオギリというのはないです。オオギリがあれば、大喜利メンバーに演奏していただかなければね)。ドイツ人の興行主がロビさんの演奏を聴いて、「この奏者を世界的に売りだそう」と考えました。
 世界的に売り出すためには、ガーナから国外へ出さなければならない。そのためには、パスポートが必要。そのためには、戸籍が必要。名前も必要・・・。
 つまり、30年前のガーナには、名前も戸籍もない人がいたのです。私の感触では、大部分が、名無し、戸籍なしだったと…。
 カクラバ・ロビという名前があるじゃないかって?実は、海外デビュー用に急遽つけた名前なのです。彼は、小柄なので、「カクラバ(のみ)」と呼ばれていました。戸籍取得のため名字を、ロビ族の「ロビ」。名前は、通称カクラバだから、「カクラバ」。で、「カクラバ・ロビ」と。
 で、カラバ・ロビさんのことを書こうとしたのではなく、「名字」なんですがね。前置き、長っ。
 世界では、名字を持たない人や民族が少なくないというのです。アフリカ諸国のほか、インドネシア、ミヤンマーにも名字を持たない人が多いとのこと。
 世界の名字事情は様々ですが、日本はといいますと、「世界一」と、自信を持っていえます。何が世界一かって?名字の種類の多さです。人口1億2600万人に対し、約13万種の名字がある(名字研究家の高信幸男さんの調査)。中国や韓国に、完全に勝ってます。勝った負けたの問題じゃないですが、気分がいいじゃないですか!中国は、人口約14億人に対し、名字は約5000種。どうですか!ぶっちぎりですよ!「王」「李」「張」「劉」「陳」「習」ばかりだもんね。ああ、気分がいいなあ!
 韓国は、人口約5200万人で、名字は約500種。「金」と「朴」しかないのかと思ったよ。どうだ、韓国!参ったかあ!
 しかし、日本も油断できません。現在は、約13万種ですが、減ってきているのです。なぬ?「日本人の名字が減ってきているという意味がわからん」って?
 江戸時代の武家社会は、「夫婦別姓」でした。これが、明治29年(~31年)の旧民法で、「家制度」のもと戸主は原則男子となりました。つまり、女子は婚姻により必然的に夫の名字を名乗らなければならないことに。
 日本国憲法が施行されて基本的人権という基本原理が導入され、「男女平等」が謳われました。改正された民法では、「夫婦は、婚姻の歳に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」となりました。どちらの名字を名乗ってもよくなりました。 でも、戦後70年を過ぎた今でも、夫の氏を名乗る場合がほとんど。少子化も進む一方。妻の家の名字が途絶えていきます。そして、日本が世界に誇る「名字文化」も消えてゆく…。名字は、ルーツであったり、祖先のエピソードであったり…ロマン、ユーモア…。大切にしていきたいものです。

親になる資格審査

2020年07月20日 | Weblog
 「50年に一度の災害といわれているけど、毎年なんだよね…」
 このたびの、「零和2年7月豪雨」の被災者の言葉…。気の毒でしょうがないです。
 毎年のように繰り返される・・・災害については、一国民としては、一日も早く元の暮らしに戻られるようお祈りするばかりです。亡くなられた方、直前まで、「ここで寿命を使い切る」とは思ってもいなかったことでしょう。ご冥福をお祈りするしかありません。
 毎年のように繰り返される・・・残虐な子殺し…またも起こってしまいました。
 この度の子殺し、犯人は母親(24歳)で、3歳の娘を部屋から出られないようにして、8日間放置して餓死させたというもの。男に会うために鹿児島へ8日間行っていたという。
 その前には、小学4年生の栗原心愛さんが、父親から、「筆舌に尽くしがたい壮絶な虐待(検察がこう言いました)」を受けて亡くなった事件がありました。
 5歳で亡くなった船戸結愛ちゃん…この事件も、ホント悲しかったです。
 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」…5歳の子が、ノートにこう書いたのです。虐待して死なせたのは、両親でした。
 3歳の男児をウサギ用ケージに監禁して殺害した事件もありました。犯人は、両親。殺害後、長男や長女とともに森へ行ってその子の遺体を埋めた。その翌日、家族で東京ディズニーランドへ遊びに行き、約1週間後には6番目の子を出産した…。「何でもあり」の現代においても、ここまでやられると…。
 2019年に児童虐待で死亡した子どもは、54人。警察が児童相談所に通告した子どもの数は9万8222人。これって、命はあるものの、殺されかけた子ども、これから殺されるかもしれない子どもが、9万8222人ということでしょ。
 船戸結愛ちゃんの死亡事件を契機に子どもの虐待に関して国が大きく動き出しました。1年ちょっとという異例の早さで「児童福祉法や児童虐待防止法の改正案」が成立しました。それはそれでいいのですが、その後も、虐待死事件は続いている。つまり、生ぬるい「法改正」では、鬼畜保護者の残虐な行為の前に無力ということ。
 また、虐待死が起こる度に叫ばれるのが…
1  児童相談所の人的拡充と機能強化
2  親権の制限をより容易に
3  児童相談所と警察の全件情報共有
4  里親や特別養子縁組の支援
5  児童養護施設やファミリーホームなど、一時保護施設の拡充
 これらも、なんの役にも立っていません。なぜなら、児相をはじめ関係諸機関が「血の通った取り組みをしない」から。
 では、どうしたらいいのか?虐待死事件がある度、私が訴えていることですが、「親になる資格審査に合格しなければ、子どもをつくってはならない」という法の制定です。
 「できるはずがない」って?ハイハイ、その通りです。しかし、現状の取り組みでは、虐待死は続きます。50年に一度じゃないんです。毎年続きます。