アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

メコンデルタへ 「アンティークマンのベトナム」第10話 

2009年09月17日 | Weblog
 ホーチミン市を出発して、南下すること70km、2時間のドライブでミトーに到着。ミトーは、人口16万人の都市で、メコンデルタ観光の拠点。
 メコン川の川幅の広いこと広いこと!対岸だと思ったら中洲…川幅は、およそ3km。 
 頼りなげな桟橋から、定員10名ほどの小船で、茶色の水のメコン川へ。ミトー桟橋の近くには、「タイソン島、フーン島、ロン島、クイ島」の4つの島(中洲)があります。我らのガイドさん(以下、天童よしみと表記します)は、そんなこと全く説明なし。どこの島へ上陸するのかも全く説明なし。1人52ドルも払っているのに…。

 最初に上陸した島では、ココナッツキャラメルを作っていました。毒蛇のコブラとサソリを酒につけ込んだものも売られておりました。試飲しましたところ、大変美味しかった。日本の、まむし酒やハブ酒のような生臭さがない。天童よしみからの説明がないまま、茂みを通り抜け、吊り橋を渡って…なぜかポニーが引く馬車に乗せられ…ミステリーツアーだね。
 
 馬車は、午前11時頃学校の前へ出た。始業式の日なので、午前中授業だったらしく、子供達の下校時にぶつかった。保護者が、ホンダで迎えに来ているので学校前は大混乱。そこへ、東洋人4人を乗せた馬車が乱入…。子供達がおとなしい。新学期の日の下校時など、歓声が響くものだと思っていたのだが。

 メコン川の中洲の島に学校があり、数百人の保護者がホンダで迎えに来る・・・ここを簡単に読み過ごさないでいただきたい。メコン川がいかに広いかを表しています。結局、島の名前の説明はなし。たぶん、フーン島だったと思います。「椰子の木教団の寺」があったはず…。フーン島だったと推測した根拠は、「ココナッツキャラメル=椰子の木教団」…なんですけど。

 また船に乗り次の島へ。たぶんタイソン島だと思います(天童よしみが無言なんだもん)。ここでは、蜂の巣箱から蜜をため込んだ板を引き抜き、「はい、この板をもって写真を撮っていいですよ!蜂は大人しいので刺しません」日本からの4人組(ジャンボ夫妻と私ら夫婦)は、誰一人ボランティアしませんでした。名も知らぬメコン川の中洲の島で、蜂に刺されたくないですから。様々な果樹の密林を歩いたのですが、ここでも説明なし…何も知らないんじゃないかなあ、天童よしみは…。そして、果実や土産物の売店へ。ドリアンと、シュガーアップルを購入。休憩所のような所へ案内され、果物をいただいた。天童よしみがいなくなっちゃった。

 そこへ、家族合唱団のような一団が出現。6歳ぐらいのアオザイを着た女の子、その母親と思われる30歳前後の女性、ほか合唱担当の婆さま2人。伴奏担当は、女性と男性。合計6名。ベトナム語で2曲歌ったあと…なぜか日本の歌?…4人でズッコケました。なんと、曲目は、「支那の夜」だったのです。「そ、そ、それって、第二次世界大戦の前の歌だべ、6歳のメコンデルタの少女に歌わせる歌じゃない。ナメトンノカー!」と突っ込みたかったが、お愛想の拍手をしました。こうやってオダテルからつけあがるのです。
 そして4曲目!4人で痙攣を起こしてしまいました。曲目は、「蛍の光」。少し考えていただきたい。はるばる、日本からメコンデルタへ行って、「支那の夜」と「蛍の光」を聴かされなければならないのか!罰ゲームか?その「蛍の光」の、下手なこと下手なこと。私は、61年という長い生涯で、これほど下手な歌を聴いたことがありませんでした。それでも、拍手し、少女が持ってきた花かごにチップをUSドルで入れたのでした。ジャンボ氏も、「しょうがないなあ、もう」という表情で、USドルを入れていました。やれやれ。
 天童よしみのやつ、まだどこかでさぼってるんです…。
(お詫びと訂正:昨日105m道路の説明で、左端がホンダの専用道路と書きましたが、右端の間違いでした。ゴメンナサイ。このごろ、右と左をよく間違えるのです・・・。)

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