ここんとこ、「体罰自殺」についての話題で持ちっきり。私にもコメントが求められる。どーゆーことか?体罰が悪いことなど、私の意見を求めるまでもない。プールで一緒になるおばちゃん達、学校の先生、某党支持者のじいさま、政府の出先機関の人までが、「どのように考えますか?」。早い話が、パブリックコメント(?)としては、「体罰支持」の意見などあるべくもないので、私に水を向けると変わった意見が得られると…?反省しましたよ。自分では、「よかれ」と思ってあちこちで持論を開陳してきたのに、「奇をてらった意見を言う奴」と、思われていたらしい。ま、織り込み済みですがね。
「体罰は絶対ダメですよ」そんな当たり前のこと。
ダメの理由ですが、桑田真澄さんのような高邁な理論を持ち合わせてはおりません。セルジオ越後さんのように、基盤が違う話をしようと言うのでもありません。
私の「体罰は絶対ダメ」の理由は明快で、「自分が体罰を受けるのが嫌だから」です。体罰を受けたいと願っている人っていますか?そりゃあ少しはおられるでしょうが…失礼かもしれませんが、その人達については無視させていただきます。
教育評論家、スポーツ評論家…評論家の皆さんが大忙しでメディアに登場して「体罰」について語っております。皆さんが忘れているのは、「体罰=暴力=犯罪」ということです。犯罪が認められるはずがない。
「痛み」は、人を人でなくするものです。そのことは、「拷問」が物語っています。
「痛み」を与えられると、自分の命さえどうでもよくなる。友達も身内も、我が子も孫も、何がどーなってもよくなってしまいます。
ですから、「痛み」は回避しなければなりません。
体罰を与える側ですが…二つのパターンがあります。
一つは、体罰を受けた経験がない人。「痛み」がどれほどのものなのかを分かっていない。だから、反撃してこない人(この度に事件では、バスケットボール部員)を暴行することに、なんの罪の意識もない。
もう一つは、体罰を受けた経験があるが、それを消化できた人。その人にとって、「(自分が我慢できたんだから)オマエラ殴られ続けたぐらいどってことないだろう。我慢できなくてどーする!」部員(被害者)のためを思って体罰を加えてあげている。感謝されることはあっても、恨まれることなどあるはずがない。
「部活を強くするためには、体罰は必要」…桑田真澄さんの調査では、80%以上の大学運動部員がそのように回答しているのだと。だけど、体罰は部活を強くして賞讃されたい…つまり、部活指導者の自己満足でしょ!腐ったカボチャのような指導者の自己満足のために、自殺しなければならなかった若者が不憫です。
犠牲者が出ても教訓にならない世の中になってしまっておりますが、この、「体罰」は、日本から撲滅しましょうよ。一寸こづくのもダメ。体に触れてはいけません。
「怒声はどうなんだ」って?怒鳴る?強迫ではない怒声なら体罰にはならない。あとで、きちんとフォロー出来る指導者なら、「怒声」は許容範囲。しかし、計算して怒鳴らなきゃ。気分で怒鳴る奴には、怒鳴る資格などない。
大勢の人の前で怒鳴られたことが原因で自殺する子…これも今後出るかも知れません。予防策は…「一人力(ひとりりょく)」を養うことです。「一人力は、何があっても、一人でも生きぬくぞという、強さです」それを、どうやって養うかって?簡単に説明出来るようなものではありません。ただぁ、我が子に一人力を養った親はたくさんおります。
「体罰は絶対ダメですよ」そんな当たり前のこと。
ダメの理由ですが、桑田真澄さんのような高邁な理論を持ち合わせてはおりません。セルジオ越後さんのように、基盤が違う話をしようと言うのでもありません。
私の「体罰は絶対ダメ」の理由は明快で、「自分が体罰を受けるのが嫌だから」です。体罰を受けたいと願っている人っていますか?そりゃあ少しはおられるでしょうが…失礼かもしれませんが、その人達については無視させていただきます。
教育評論家、スポーツ評論家…評論家の皆さんが大忙しでメディアに登場して「体罰」について語っております。皆さんが忘れているのは、「体罰=暴力=犯罪」ということです。犯罪が認められるはずがない。
「痛み」は、人を人でなくするものです。そのことは、「拷問」が物語っています。
「痛み」を与えられると、自分の命さえどうでもよくなる。友達も身内も、我が子も孫も、何がどーなってもよくなってしまいます。
ですから、「痛み」は回避しなければなりません。
体罰を与える側ですが…二つのパターンがあります。
一つは、体罰を受けた経験がない人。「痛み」がどれほどのものなのかを分かっていない。だから、反撃してこない人(この度に事件では、バスケットボール部員)を暴行することに、なんの罪の意識もない。
もう一つは、体罰を受けた経験があるが、それを消化できた人。その人にとって、「(自分が我慢できたんだから)オマエラ殴られ続けたぐらいどってことないだろう。我慢できなくてどーする!」部員(被害者)のためを思って体罰を加えてあげている。感謝されることはあっても、恨まれることなどあるはずがない。
「部活を強くするためには、体罰は必要」…桑田真澄さんの調査では、80%以上の大学運動部員がそのように回答しているのだと。だけど、体罰は部活を強くして賞讃されたい…つまり、部活指導者の自己満足でしょ!腐ったカボチャのような指導者の自己満足のために、自殺しなければならなかった若者が不憫です。
犠牲者が出ても教訓にならない世の中になってしまっておりますが、この、「体罰」は、日本から撲滅しましょうよ。一寸こづくのもダメ。体に触れてはいけません。
「怒声はどうなんだ」って?怒鳴る?強迫ではない怒声なら体罰にはならない。あとで、きちんとフォロー出来る指導者なら、「怒声」は許容範囲。しかし、計算して怒鳴らなきゃ。気分で怒鳴る奴には、怒鳴る資格などない。
大勢の人の前で怒鳴られたことが原因で自殺する子…これも今後出るかも知れません。予防策は…「一人力(ひとりりょく)」を養うことです。「一人力は、何があっても、一人でも生きぬくぞという、強さです」それを、どうやって養うかって?簡単に説明出来るようなものではありません。ただぁ、我が子に一人力を養った親はたくさんおります。