パーマカルチャーってワードは
耳にしたことがあるけど
そんなに詳しくはなくて
無肥料栽培の岡本よりたかさんのブログに
こんな記事がありましたので
シェアさせてください。
象牙の塔の住人 無肥料栽培家 岡本よりたかブログより
「東京アーバンパーマカルチャー」
↑
クリックするとジャーンプするよ


ソーヤ・海さんが、僕と話したいとブラウンズフィールドに急遽訪れた。もちろん、デコさんがいたからなのだけど、思いの外、思考が似ていたので古くからの親友かのような錯覚に陥る。
ソーヤ・海さんを知らない方のために紹介すると、ニューヨークに移り住んだ時に、911を目の当たりにし、戦争に向かう事が正当化される事に強い疑問を持ったらしい。
その後、近代文明を避けるように、コスタリカでジャングル生活をし、中南米を歩き回った後、日本にやってくる。
そこでも311が起き、貨幣経済の終幕を感じ、東京アーバンパーマカルチャーという、新しい生き方を提案し始める。
パーマカルチャーとは、人を地球の循環の中の一つと捉え、地球の仕組みに沿った生き方を推奨する考え方だ。その考えを東京という都会でも根付かせる。それが東京アーバンパーマカルチャー。
様々な活動、講演、ワークショップ、出版を通して、多くの人の心を動かし続ける、近代では珍しい、共生革命家である。
「都会で自分をすり減らして働くみんなへ。共生革命家・ソーヤー海より5つの提案」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44170
僕は、人は地球の中の生物の一つでしかないと言い続けてきた。人を特別な存在と捉えるから、生き方に苦しむのだと。
人も自然の循環の中の一つであると認識できれば、僕らは物を作り出すのではなく、自然から生きるための全てのものを享受し、そして、自然に多くの物を提供するという生き方に変わる。
奪うのではなく、廃棄するのではなく、全てを自然の中で循環させていくという生き方である。
だから僕は無肥料栽培を推進する。山の恵み、川の恵み、海の恵みをいただき、そしてそれらも最終的に地球に返して行く。それが無肥料栽培なのだ。
敵などいないのである。虫も草も全ては味方である。であるのに、人は敵を作りたがる。光を当てるため、水を集めるため、虫を追い払うため、病と闘うため、時間とも闘う。
わざわざ敵を作り出しておいて、自分自身を苦しめ続けてしまうのである。
ソーヤ・海さんは、こう表現する、「無敵」とは、どんな敵でも倒してしまうということではなく、敵を一切作らないということ。闘うことの放棄だ。
人は自然から遠く離れてしまった。特に都会に住む人たちは。田舎に住んでいたとて、化学物質にまみれた生活を余儀なくされる。
だからどうすれば良いのか。
まずは、怒りをおさめることだろう。怒りは敵を作る。怒りは平穏を遠ざける。
そして自然を知る。そのためには自らの身体を作る食べ物を自らの手で育ててみる。種から始まり種に繋ぐことだ。
その時、植物は生きているということを知る。野菜も生きていて、必死に命を繋ごうとしている。そこには闘いはない。あるのは暖かさだけである。
別れ際には、彼からハグしてきた。熱く、冷静で、人を心から受け入れ、壁を作ろうとしない若者である。
東京アーバンパーマカルチャー。詳細は彼のホームページを確認して欲しい。最も人間らしい、最も地球人らしい男である。
https://www.tokyourbanpermaculture.com
もしかしたら、今年60歳になる僕の役割は、もう終わっているのかもしれない。
-----
たねのがっこう、まだまだ支援が必要です。よろしくお願いします。
○シードバンク「たねのがっこう」にご支援お願いします。種を守る活動です。
https://okamoto-s.stores.jp
○「たねのがっこう」詳細
https://www.soramizu.com/たねのがっこう/
*転載おわり*
お金に囚われない。
昔、生活に必要なものは自分で作りたいと
思ってました
けど、そんなに器用じゃない
糸を染めて紡いで服にしたいとか
自分の手と身体とこころを使って
生きたいと思う時期がありました。
もちろん今でも種はある。
生きて行くのに必要なことを
依存した生活は
いつも不安から逃れられない
お金で買えると思っていたものが
なくなってしまうとどうなる?
けど
そうなってしまわないと
氣付けないものなのかもしれませんね。
ワークショップなのに
「作っておいてくれる?」
と過去に言われたこともあります。
作ることに意味あるんだけど


耳にしたことがあるけど
そんなに詳しくはなくて
無肥料栽培の岡本よりたかさんのブログに
こんな記事がありましたので
シェアさせてください。

「東京アーバンパーマカルチャー」
↑
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ソーヤ・海さんが、僕と話したいとブラウンズフィールドに急遽訪れた。もちろん、デコさんがいたからなのだけど、思いの外、思考が似ていたので古くからの親友かのような錯覚に陥る。
ソーヤ・海さんを知らない方のために紹介すると、ニューヨークに移り住んだ時に、911を目の当たりにし、戦争に向かう事が正当化される事に強い疑問を持ったらしい。
その後、近代文明を避けるように、コスタリカでジャングル生活をし、中南米を歩き回った後、日本にやってくる。
そこでも311が起き、貨幣経済の終幕を感じ、東京アーバンパーマカルチャーという、新しい生き方を提案し始める。
パーマカルチャーとは、人を地球の循環の中の一つと捉え、地球の仕組みに沿った生き方を推奨する考え方だ。その考えを東京という都会でも根付かせる。それが東京アーバンパーマカルチャー。
様々な活動、講演、ワークショップ、出版を通して、多くの人の心を動かし続ける、近代では珍しい、共生革命家である。
「都会で自分をすり減らして働くみんなへ。共生革命家・ソーヤー海より5つの提案」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44170
僕は、人は地球の中の生物の一つでしかないと言い続けてきた。人を特別な存在と捉えるから、生き方に苦しむのだと。
人も自然の循環の中の一つであると認識できれば、僕らは物を作り出すのではなく、自然から生きるための全てのものを享受し、そして、自然に多くの物を提供するという生き方に変わる。
奪うのではなく、廃棄するのではなく、全てを自然の中で循環させていくという生き方である。
だから僕は無肥料栽培を推進する。山の恵み、川の恵み、海の恵みをいただき、そしてそれらも最終的に地球に返して行く。それが無肥料栽培なのだ。
敵などいないのである。虫も草も全ては味方である。であるのに、人は敵を作りたがる。光を当てるため、水を集めるため、虫を追い払うため、病と闘うため、時間とも闘う。
わざわざ敵を作り出しておいて、自分自身を苦しめ続けてしまうのである。
ソーヤ・海さんは、こう表現する、「無敵」とは、どんな敵でも倒してしまうということではなく、敵を一切作らないということ。闘うことの放棄だ。
人は自然から遠く離れてしまった。特に都会に住む人たちは。田舎に住んでいたとて、化学物質にまみれた生活を余儀なくされる。
だからどうすれば良いのか。
まずは、怒りをおさめることだろう。怒りは敵を作る。怒りは平穏を遠ざける。
そして自然を知る。そのためには自らの身体を作る食べ物を自らの手で育ててみる。種から始まり種に繋ぐことだ。
その時、植物は生きているということを知る。野菜も生きていて、必死に命を繋ごうとしている。そこには闘いはない。あるのは暖かさだけである。
別れ際には、彼からハグしてきた。熱く、冷静で、人を心から受け入れ、壁を作ろうとしない若者である。
東京アーバンパーマカルチャー。詳細は彼のホームページを確認して欲しい。最も人間らしい、最も地球人らしい男である。
https://www.tokyourbanpermaculture.com
もしかしたら、今年60歳になる僕の役割は、もう終わっているのかもしれない。
-----
たねのがっこう、まだまだ支援が必要です。よろしくお願いします。
○シードバンク「たねのがっこう」にご支援お願いします。種を守る活動です。
https://okamoto-s.stores.jp
○「たねのがっこう」詳細
https://www.soramizu.com/たねのがっこう/
*転載おわり*
お金に囚われない。
昔、生活に必要なものは自分で作りたいと
思ってました

けど、そんなに器用じゃない

糸を染めて紡いで服にしたいとか
自分の手と身体とこころを使って
生きたいと思う時期がありました。
もちろん今でも種はある。
生きて行くのに必要なことを
依存した生活は
いつも不安から逃れられない
お金で買えると思っていたものが
なくなってしまうとどうなる?
けど
そうなってしまわないと
氣付けないものなのかもしれませんね。
ワークショップなのに
「作っておいてくれる?」
と過去に言われたこともあります。
作ることに意味あるんだけど


