お盆休みで、自分のためにじっくりと時間を使っております。
と言っても、練習に明け暮れているわけではなく・・
自分のためにといっても、実際はいつの間にか生徒さんのことを考えています。
あの生徒さん用に編曲しようとか、休み明けはどう進めようとか、この曲はいつのタイミングで弾いてもらおうとか・・
そんな中で、ひとりぼっちで家で練習をしなければならず、結局練習をしなくなる生徒さんの保護者の方に、どうやってこの事態を理解して頂いたら良いか、気付くとそのことをずっと考えています。
練習の目的は一般には上達するためです。
ただ、本当にピアノが好きで、好きな音楽が弾けるようになりたいと思っている生徒さんにしかそれは通用しないかもしれません。
そうではないけれど、保護者の方が上手くフォローして下さって、練習に向かうことができる生徒さんも少なくありません。講師一人の力ではレッスンは成り立たないのです。
レッスンに行きさえすれば弾けるようになると思われている保護者の方に、練習の必要性と、全ての責任を小さなお子さんに負わせるのは酷であることを知って頂くのは、特に楽器店のようなところでは難しいと感じます。
次から次へと生徒さんが続き、お話しするにも周りに多くの方がいらっしゃる中で、はっきり言って「もっとお子さんに関わってください」という意味のことを伝えるのは、言いづらい・・
趣味のおけいこ事ですが、そこから何が得られるかということをよく考えます。
今日、またまた阪田氏のことで申し訳ないですが、日経新聞に彼の記事が掲載されたようで、こちらで少し読みました。
この中に、中学生の時に初めてリストを弾いた時に、作曲家の意図が分からず、楽譜を集めて弾き込み、伝記を読み、あらゆるCDを聴いた、と。
探求心に火が付いたと。
レッスンをしていて、間違えて楽譜を読んできても、レッスンでそれが直せれば良いわけで、何もせずにレッスンに来て、初めから正しいものをただ教えられているだけでは、その生徒さんの力にはなりません。(習い始めの生徒さんは別です)
間違えたから、今度は気を付けようとか、どうして間違えたかわかるのです。
回り道は無駄と考える教育を受けてしまった世代がいることは確かですが、省エネは自分のためになることはあまりありません。
自分で探し、間違えたことだとしても、それは自分の糧になり、必ず次に繋がります。
自分で見つけられるようになるには、間違えていようが自分で探し求めるしかないのです。
それを子供たちに知ってほしいと思っています。
自分の力で物事が解決できる力がつくまでは、保護者の方のお力が必要、と今日も思ったのでした。自分でどうにもならない時は、人を頼ることも必要です。
自立は、全て一人ですることではなく、人を頼ることも時には必要だと知ることです。
やってみて駄目だと分かったら、頼る。
まず、やってみること。
わからないからと、すぐに人の手を借りては身になりません。
と、思うのです。
と言っても、練習に明け暮れているわけではなく・・
自分のためにといっても、実際はいつの間にか生徒さんのことを考えています。
あの生徒さん用に編曲しようとか、休み明けはどう進めようとか、この曲はいつのタイミングで弾いてもらおうとか・・
そんな中で、ひとりぼっちで家で練習をしなければならず、結局練習をしなくなる生徒さんの保護者の方に、どうやってこの事態を理解して頂いたら良いか、気付くとそのことをずっと考えています。
練習の目的は一般には上達するためです。
ただ、本当にピアノが好きで、好きな音楽が弾けるようになりたいと思っている生徒さんにしかそれは通用しないかもしれません。
そうではないけれど、保護者の方が上手くフォローして下さって、練習に向かうことができる生徒さんも少なくありません。講師一人の力ではレッスンは成り立たないのです。
レッスンに行きさえすれば弾けるようになると思われている保護者の方に、練習の必要性と、全ての責任を小さなお子さんに負わせるのは酷であることを知って頂くのは、特に楽器店のようなところでは難しいと感じます。
次から次へと生徒さんが続き、お話しするにも周りに多くの方がいらっしゃる中で、はっきり言って「もっとお子さんに関わってください」という意味のことを伝えるのは、言いづらい・・
趣味のおけいこ事ですが、そこから何が得られるかということをよく考えます。
今日、またまた阪田氏のことで申し訳ないですが、日経新聞に彼の記事が掲載されたようで、こちらで少し読みました。
この中に、中学生の時に初めてリストを弾いた時に、作曲家の意図が分からず、楽譜を集めて弾き込み、伝記を読み、あらゆるCDを聴いた、と。
探求心に火が付いたと。
レッスンをしていて、間違えて楽譜を読んできても、レッスンでそれが直せれば良いわけで、何もせずにレッスンに来て、初めから正しいものをただ教えられているだけでは、その生徒さんの力にはなりません。(習い始めの生徒さんは別です)
間違えたから、今度は気を付けようとか、どうして間違えたかわかるのです。
回り道は無駄と考える教育を受けてしまった世代がいることは確かですが、省エネは自分のためになることはあまりありません。
自分で探し、間違えたことだとしても、それは自分の糧になり、必ず次に繋がります。
自分で見つけられるようになるには、間違えていようが自分で探し求めるしかないのです。
それを子供たちに知ってほしいと思っています。
自分の力で物事が解決できる力がつくまでは、保護者の方のお力が必要、と今日も思ったのでした。自分でどうにもならない時は、人を頼ることも必要です。
自立は、全て一人ですることではなく、人を頼ることも時には必要だと知ることです。
やってみて駄目だと分かったら、頼る。
まず、やってみること。
わからないからと、すぐに人の手を借りては身になりません。
と、思うのです。