日曜日にあった発表会の演奏を聞いていて、生徒の音がそれぞれ異なり良いことだと思いました。
異なると言っても、浅い打鍵しか出来ない生徒さんはみな同じ音しか聞こえません。
個性のある音を出せているのは、腕や身体の重さを使って弾けている生徒さんです。
そんな中、力で押して弾くように初めに習ってしまった生徒さんと、逆に力が抜け過ぎてしまう生徒さんでは、どちらが良い音になって行くのだろうと考えました。
私は以前は、力が抜ける方が直せると思っていました。指の支えや身体の重心がしっかりすれば良くなると思っていました。
しかし、日曜日に聴いたものを思い返すと、力が入っていた生徒さんの方が今は音が良くなっています。
力が抜けすぎる生徒さんは、レッスンで注意したその時は良くても一人ではコントロールできない傾向にあります。
大人の生徒さんで、力が抜けやすい方がいらしたのですが、ご本人は「どこまで力を入れたら良いかわからない」と言っていました。
もっと指の付け根でしっかり支えてと言うと、大抵押し付けて弾いてしまいます。打鍵のスピードも出にくいようで、音がポワンとします。
力を入れる意味が上手く伝わらないと感じます。
テニスのラケットを握る力は必要ですが、握ることに力を入れすぎてはラケットは振れません。
野球のバットも同じです。
ピアノは自分の手がラケットやバットのような道具で、体の一部として繋がっているので力が見えません。
テニスや野球はボールの飛びかたで善し悪しが見えますが、音楽は音を聴いて耳で判断します。
自分自身がコーチにならなければ。
大人の生徒さんは、電子ピアノで長く練習をしていた影響も考えましたが、日曜日の生徒さんは始めからアコースティックピアノです。
力が抜けすぎると、本人は色々と表現しているつもりでも、実際には単調で表現には結びつきません。
表現力に乏しいとか、音楽性がないとか見られてしまいます。
音は作り出すものだとは思いますが、音を持っているかは大きいとも思います。
特に導入法を変えてから、個人の音の違いが遅くとも4年も経つとはっきりするようになったので、複雑な心境です・・
ただ、音は良くとも本人は音楽にさほど興味がない、というパターンもあります。音楽に感動する感性を持っていないのです。
これも複雑な心境ですが、しかし致命的です。
興味がさほどなくとも徐々に興味を持てる生徒さんは、ご家族に音楽経験者がいる場合が多いです。音楽を勉強の役に立てようと考えているご家庭は限界があります。
音楽はやらされるものではなく、好きな人がするものです。
それが音になって表現できるよう私も力になりたいと思うのです。