大人の生徒さんにこのような本を教えて頂きました。
その生徒さんの話では、頷き方が日本人は下だけれど西欧人は上だと。
ちょうど、鈴木雅明さんのフーガの技法を聴いた時に、譜めくりの合図の出し方がよくある下ではなく、鈴木さんは上だったので珍しいな、と思っておりました。
しかも、タイミングがアウフタクト的だったので指揮をされているからかな、と思ったりしておりました。
ついでに、私の隣の席の方が拍子を頷きながら取っていらして、「縦かぁ、日本人だなぁ」などと思いながら聴いていたのでした。
そんなことがあった後にこの本の話。
これは興味深いと思い、読んでみることに。
まだ全部は読んでおりませんが、既に生徒のレッスンで思い当たるものがあり、もしかしたら日本人の特性なのか、と思ったのでそのことを書いておこうと思います。
日本は水田を耕します。
地形的に、足腰を安定させて作業しなければならず、それにより下に意識が向きます。また、稲を植える時に一列に並び、他の人とタイミングを合わせて植える習慣がある、と。
1拍目に合わせて皆で手を叩き歌う、そして揉み手をする人もいるように身体の内側に向けて手を打ち付ける。
内側向きの動作は、数える時の指の折り方、のこぎりを手前に引くことにも表れている。
和楽器を見ると、尺八は息を下方に向かわせ、時にかがみ込んで体を折るように内向きに吹く。三味線や琴は音を止める時に弦の上で動きを下にしてバチなどで止める。
これはリズムの流れをいったん途切れさせることである、と。
ヨーロッパのリズムは上向きに加え、リズムは連続性を蓄えエネルギーを途切れさせないよう次へ次へと持続させている、と。
これは敏速に動く狩猟生活に起因しているのであろう、と。
いつ飛び出してくるかわからない獲物を瞬時に見つけ追いかけるために、筋肉を使い大地を蹴り上げ、縦、垂直方向、上方へと伸び上がる運動方向を蓄えていなければならなかった。
足は踏み出す前から既に次の運動を予測し、身体を備えておかなければならない。常に次の行動への体勢をとるようにしていなければならない。
また、ヨーロッパの言語は基本的に冠詞を持っている。
それが運動の前の呼吸、発声という運動のタイミングを取る働きをしている。それが上向きの相槌に表れる。冠詞は次の運動、発音の準備を身体に意識させる。
生徒さんのレッスンをしていて、腕の重さを使ってしっかりと下におろすことをしておりますが、その前に必ず上にあげる動きが必要です。
それが腕や手をリラックスさせる事と同時に、音を出す前の呼吸でもあるわけです。
これがなかなか身に付かず、下ろすことに意識が向きすぎて、私の生徒の場合は手首が必要以上に低くなることを生んでいます。
肩と指の付け根の支えの問題かと思っておりましたが、もっと日本人の性質的なものと関係しているのかもしれない、と思いました。
それからもうひとつ。次の動きを予測して弾いていかなければ、ピアノの場合は、プツ・プツと途切れた演奏になってしまいます。
一音終わってから次のことを考えていては全く間に合いません。
これは練習量の問題かと思っておりましたが、時々それだけでは説明がつかないものを感じておりました。
稲作で皆と歩調を合わせ作業することで効率が上がる民族と、常に次の行動の体勢に備える必要があった狩猟民族の違いが関係しているのかもしれない、とこの本で認識しました。
パンデミックや経済状況により、国外に行ける日本人が限られてくる可能性があり、これまで以上に私自身も気付かず教えてしまっていることが増えないことを祈るばかりです。