紀尾井ホールで鈴木雅明氏のフーガの技法を聴いてきました。
フーガの技法をコンサートで聴けることなぞ、一生に一度かもしれない。
しかも、チェンバロの演奏。
これは行かねば!、とワクワクしながら聴きに行きました。
貴重な機会でした。
フーガの技法全曲とプログラムにありますが、そもそも謎に包まれたフーガの技法の全曲とは?と、鈴木氏。
印刷譜にあり演奏できるものは全部弾こう、ということだと。
フーガの技法はバッハが印刷出版を目指して作業を進めていたものの、ロ短調ミサを完成させることや体調悪化のため、生前に印刷譜を完成させることはできませんでした。
印刷譜の12曲目くらいまではバッハも携わっていたらしいのですが、その後は次男エマヌエルらの考えで進められたのでは、と曲目解説にあります。
鈴木さんは11曲目まで前半、後半は1人では演奏不可能な楽譜もあることから、数曲を除き息子さんの雅人さんと2台のチェンバロで演奏。
前半と後半の初めに、鈴木さんが簡単な曲紹介をして下さり、テーマと、その反行・逆行など弾いて下さいました。
後半の正置型・倒置型の説明もして下さいました。
フーガの技法はオープンスコアで書かれていて(大譜表ではなく、一声部ごとに分けて書かれた楽譜。なので、何の楽器のためかが余計に分からない事態になっているのですが、おそらくチェンバロのためだろうというお話でした)
倒置型とは、Sop.をBass.に、Alt.をTen.に置き換えても曲になると。
正置型の後、続けて倒置型を演奏されていましたが、本当にバッハは凄い。
今、大人の生徒さんで、満を持して平均律第1巻の第1番を弾いている生徒さんがいます。
密接進行が非常に多いフーガで、あとから出現するテーマは調性が異なるのに、前のテーマと重なっているにもかかわらず全く違和感がない。
これは一体どういうことだと、頭の中がグルグルしてしまいますが、バッハはこういうことが出来てしまう。
どうやって作っているのか‥と、いつも不思議です。
鈴木さんはこの20年バッハの曲の録音をしてきて、フーガの技法は最後に録音しようと取っておいたと。
取っておいたら、パンデミックで今度は待たされたと。
お話も非常に面白かったです。
プログラムの最後から2番目、これは未完のフーガです。
音楽が勢い付いてきたところで突然、音が止みます。
バッハが生きていたことを何故か強く感じました。
そして最後の曲は印刷譜にある通り、コラールでした。
ニ短調のフーガの技法の最後がト長調のコラール。バッハ自身は印刷曲集に加える意図はなかったはずと、とても良く書かれている木村佐千子さんの解説にあります。
未完のフーガの後にこのコラールを添えて出版した人の想いを汲んで、今日は演奏してみよう、と鈴木さんのツイッターにありました。
最後にこのコラール。
良かったです。あって良かったです。
<我ら苦難の極みにあるとき/ Wenn wir in höchsten Nöten sein.>というコラールです。
聴いていて、これはオルガン曲だなという印象。
調べてみましたら、同じ曲を死の間際に<汝の玉座の前に今ぞ歩み出て>という曲名にしてオルガン曲にしたとか・・
そんな元気があっただろうか・・と、疑問。
フーガの技法の未完のフーガがバッハの絶筆と言われていたり(これは次男の作り話説有力)、このオルガン曲に改編した<汝の玉座の前に今ぞ歩み出て>が絶筆と言われていたり・・
結局、分からない、が正解。
あの未完のフーガ。
なんだか、突き刺さりました。