水曜日に、マナウスのFUNAI事務所にインディオが押し掛けるという事件がありましたが、木曜日にはブラジリアでインディオ関係の騒ぎがありました。
ブラジルの入試では、定員に「黒人枠、黒人等の混血の人枠」などの特別枠があります。
そのほかにも「公立学校卒業生枠」「低所得家庭枠」など。
この「特別枠」はすべての大学に適用されているものではなく、採用については大学側の裁量によるものらしいです。(この辺確かでは似のですが。)
木曜日、国会で「ブラジリア大学にインディオのための特別枠を設けるか否か」について採決が行われていました。
ブラジリア大学、国立ですからね。
こういうときに論議されるんですね。
その時、ある国会議員が「インディオについては、すでに混血枠、低所得家庭枠に含まれており、あらためて特別枠を設けるべきではない」と発言。
これに対して、議会を傍聴していた二人のインディオが猛烈に反発、この議員に対して暴言を投げかけ、警備員らによって外に連れ出され、投票はその場で中止されました。
この「特別枠」については、賛否両論あり、実際にさまざまな問題も起こっています。
具体的には、試験で高得点をとった受験生が不合格になり、「特別枠」で受験した生徒がかなり低い点数でもごうかくできるということです。
本来なら合格できない、社会的経済的ハンディのある生徒を合格させるという点では、本来の目的を果たしているかもしれません。
しかしこうしたことにより、普通に受験した生徒の不満が募り、差別をなくすために導入したシステムで、逆にこの「特別枠」で入学した生徒に対しての「差別」が出て来ているとか。
また、大学の入試点数の平均がぐっと下がるため、大学の学力レベルの維持にも問題が出て来ています。
現在グローボ局のお昼のニュースで、ブラジルの教育問題についてリポートをしているのですが、それを見ていると、農村部とかアマゾナスの「ヒベリーニョ」と呼ばれる「川辺で生きる人たち」の子弟が教育を受けるために学校に通うことは、容易なことではなさそうです。
想像できない...と言ったほうがいいかも。
毎日暗いうちに起きて何時間も歩く、そしてようやく通学バスに乗れるとか、通学バスのないところでは乗り合いのトラックの荷台に乗る、川辺の子供たちは毎日1時間以上カヌーをこいで通学ボートの発着所まで来る、そしてようやくボートに乗れる。
ものすごい努力をして学校に通っているのです。
だから、勉強したいという生徒にはチャンスを与えてあげたい。
でも、そうすることによって、上に書いたような問題が起こってくる。
難しいです。
今回はたまたまインディオによる騒動と言うことで、問題が浮かび上がりましたが、本来は社会の構造全体の問題だと思います。
教育分野だけの問題ではありません。
娘とこのことを話したときに娘が言っていました。
「ブラジルも日本みたいに、みんなが同じ条件で同じように受験できるようになるといいのにね。」
日本よりもはるかに広い国土を持ち、たくさんの人種がさまざまな生活状態で暮らしているブラジル。
そこにたどり着くのは、ずいぶん時間がかかるでしょうね。
ブラジルの入試では、定員に「黒人枠、黒人等の混血の人枠」などの特別枠があります。
そのほかにも「公立学校卒業生枠」「低所得家庭枠」など。
この「特別枠」はすべての大学に適用されているものではなく、採用については大学側の裁量によるものらしいです。(この辺確かでは似のですが。)
木曜日、国会で「ブラジリア大学にインディオのための特別枠を設けるか否か」について採決が行われていました。
ブラジリア大学、国立ですからね。
こういうときに論議されるんですね。
その時、ある国会議員が「インディオについては、すでに混血枠、低所得家庭枠に含まれており、あらためて特別枠を設けるべきではない」と発言。
これに対して、議会を傍聴していた二人のインディオが猛烈に反発、この議員に対して暴言を投げかけ、警備員らによって外に連れ出され、投票はその場で中止されました。
この「特別枠」については、賛否両論あり、実際にさまざまな問題も起こっています。
具体的には、試験で高得点をとった受験生が不合格になり、「特別枠」で受験した生徒がかなり低い点数でもごうかくできるということです。
本来なら合格できない、社会的経済的ハンディのある生徒を合格させるという点では、本来の目的を果たしているかもしれません。
しかしこうしたことにより、普通に受験した生徒の不満が募り、差別をなくすために導入したシステムで、逆にこの「特別枠」で入学した生徒に対しての「差別」が出て来ているとか。
また、大学の入試点数の平均がぐっと下がるため、大学の学力レベルの維持にも問題が出て来ています。
現在グローボ局のお昼のニュースで、ブラジルの教育問題についてリポートをしているのですが、それを見ていると、農村部とかアマゾナスの「ヒベリーニョ」と呼ばれる「川辺で生きる人たち」の子弟が教育を受けるために学校に通うことは、容易なことではなさそうです。
想像できない...と言ったほうがいいかも。
毎日暗いうちに起きて何時間も歩く、そしてようやく通学バスに乗れるとか、通学バスのないところでは乗り合いのトラックの荷台に乗る、川辺の子供たちは毎日1時間以上カヌーをこいで通学ボートの発着所まで来る、そしてようやくボートに乗れる。
ものすごい努力をして学校に通っているのです。
だから、勉強したいという生徒にはチャンスを与えてあげたい。
でも、そうすることによって、上に書いたような問題が起こってくる。
難しいです。
今回はたまたまインディオによる騒動と言うことで、問題が浮かび上がりましたが、本来は社会の構造全体の問題だと思います。
教育分野だけの問題ではありません。
娘とこのことを話したときに娘が言っていました。
「ブラジルも日本みたいに、みんなが同じ条件で同じように受験できるようになるといいのにね。」
日本よりもはるかに広い国土を持ち、たくさんの人種がさまざまな生活状態で暮らしているブラジル。
そこにたどり着くのは、ずいぶん時間がかかるでしょうね。