アマゾンわんわん日記 2018

復活しました!
のんびりやっていきます。
また よろしくお願いします。

暑いから...

2021年09月10日 | 娘のサンパウロ暮らし

最近のサンパウロは寒暖の差が激しいみたいですね。

今日は最高気温が23度ぐらいの予報だけど、日曜日は33度になっているし。

同じ週のうちにこんなに寒暖の差があったのでは たまりませんな。

娘も「寒くなるのがこわいから お布団もしまえない~」と嘆いておりました。

さて、昨日は朝からかなり気温が上がったようです。

娘の部屋にはエアコンがついていません。

以前は高層階に住んでいたので、それなりに風通りもあり エアコンが必要なかったらしいのですが、今住んでいるのは低層階ばかりの建物が集まったコンドミニオ。

暑いです。

暑さに耐えきれなくなった娘...

会社に出勤しました。

会社にはエアコンがあるのよ。

冷え冷えの中で仕事ができる。

5月に転職した娘。

サンパウロではコロナ禍が始まった昨年初めから、オンラインでできる職種はほぼすべて在宅オンライン勤務となっていたようです。

それがワクチン接種が進んだことで、徐々に緩和されてきました。

娘の勤務する会社も、2回接種を完了した人だけ 出勤できるようになったそうです。

娘も実は今回がほぼ初出勤。

娘の仕事をするフロアは出勤者4人、娘のセクションは娘一人だったそうです。

みんなオンライン勤務を享受しとるね。

というわけで、「暑かったから 仕事行く!」

母も真似してみようかな?!

しかし、たった4人のためにエアコン全開にしておかないといけない 会社の出費もバカにならんわね~。

 

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中身

2021年09月09日 | 生活

一昨日は 午後一杯 こいつと格闘してしまいました。

 キーボードの中身!

KORGというブラジルではかなり古くからあるメーカーの電子ピアノ。

この写真の真ん中部分のゴムが摩耗してしまいうまく通電しなくなって、音が出ない部分が出てきてしまったの。

サンパウロではね こういう電子ピアノを直す人を見つけるのも容易だけど、マナウスではまだまだ。

あっちに電話をし、こっちにメッセージを送り、ようやく見つけたテクニコ(技術者)も約束の時間にやってこない。

修理をしてくれる人を見つけるためだけにすでに2か月以上が経過。

仕方がないので娘に泣きつき、マナウスのピアノ仲間と連絡を取ってもらった。

そして紹介されたのが今回来てくれたテクニコ。

約束の時間通りにやってきて、テキパキ直してくれ...とはいかなかったけど、そばでごちゃごちゃ口を出す私の意見もきちんと聞いてくれて、とりあえずはパーツを入れ替えるだけで一番使用する高さのところは音が出るようにしてくれました。

その分低音部は壊滅的になっちゃったけど...

最終的にはパーツの交換をしなくてはならないということで、パーツを探すために動き出しています。

で、KORGという会社を調べて見てびっくり!

日本の老舗の音響会社だったのね。

日本で最初にシンセサイザーを製造した会社だそうです。

その後YAMAHAとの資本提携も行われているそうで、なにやら急に身近なメーカーに感じられました。

それなら日本のサイトでパーツを探してみた方がいいかもね。

こうやって一つ一つ手をかけていってあげると、どんなに古い楽器でも大切になってきてしまうから...危険です。

 

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TOKYOパラリンピック物語2

2021年09月08日 | 人間

今回のパラリンピックで一番すごかったなーと思うのは、やはりアフガニスタン選手の来日でした。

TOKYOパラリンピック開幕直前に政権崩壊したアフガニスタン。

パラリンピック参加予定だった二人の選手は安全な渡航手段がないという理由で、一度は参加を断念しました。

その後、どのような国のどのような人が協力したのかは明らかにされていませんが、「地球規模の作戦」という協力者の働きのもと。無事に国外に出国。

フランスにしばらく滞在し、トレーニングをし、この度の来日が実現しました。

女性選手は自分の出場予知だった競技に間に合いましたが、男性選手は間に合わなかったため急遽出場予定だった陸上競技の他の種目に出場したということです。

パラリンピック閉会後 二人が日本からどこの国に行ったかは公表されていません。

選手二人が国外に脱出した時に、一緒に二人の家族を含む関係者50人以上が一緒に国外に退避しているそうです。

今回のことに どの国がどのようにかかわってきたか、一部分しかわかっていませんが、多くの国が危険を承知の上で二人のパラリンピック参加に協力をしたのだと思うと、胸が詰まる思いがします。

もちろんそこには様々な利害関係もかかわっているのかもしれませんが、少なくても二人の家族50人からなる人たちが安全に暮らせる場所に移れたのですから。

二人がどのような思いでアフガニスタンの国旗の下に競技を行ったのか...

オリンピックでは自国からの亡命を希望する選手が多くいましたが、スポーツや文化の世界に政治が入り込んでこない そんな日が一日も早くやってきてくれればと思いました。

 

 

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今年も独立記念日

2021年09月07日 | ブラジル雑記

9月7日。

ブラジルの独立記念日です。

1822年9月7日、ペドロ1世がイピランガの丘で「独立か死か!」と叫んで独立を宣言した日です。

例年ですと各地で独立記念日を祝うパレードが行われるのですが、コロナ禍のため昨年に引き続き中止となりました。

その代わりに各地で様々なデモが行われました。

デモの目的は「ボルソナロ大統領」に関すること。

反対派、応援派、ついでにワクチン接種促進 入り乱れてのデモ合戦。

サンパウロではパウリスタ通りに人がいっぱい。

リオデジャネイロではコパカバーナの海岸通りやセントロでも。

ブラジリアではテレビ塔から三権広場に伸びる官公庁街で、「反ボルソナロ」、「親ボルソナロ」、その他にもインディオのデモなどもあり、一部混乱もあったようです。

インディオ達は金の違法採掘に関して抗議をしています。

マナウスでもセントロを中心に「反ボルソナロ」のデモ。

我が家の近くの通りではトラックによる「親ボルソナロ」デモ。

我が家の近くから約20㎞離れたポンタネグラ地区までこのトラックの行列が続いたのでした。

 

今朝、いつも見ているマナウスの交通情報を扱うSNSで「市内各地でデモが行われます。計画されたものだけじゃなく、突発的なデモも起こる可能性もあります。それでもあなたは出かけますか?家でのんびりしていますか?」という書き込みがありました。

はい、ペケママは迷わず「家にいる派」を選びました。

まあ、もともと出かける予定なんてなかったんですけどね!

それにしても この人、人、人の状態ではワクチンがどうとかコロナによる死者がどうとか言っていられるのかね?

皆さんマスクをしているとはいえ、そのあたり大丈夫なのかしらと思っちゃいます。

     *     *      *     *     *

9月7日は夫が1972年 ブラジル丸で日本からブラジルに到着した日。

今年で49年になりました。

 

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TOKYOパラリンピック物語1

2021年09月06日 | 人間

パラリンピックが終わりましたねー。

お、こう書きだしたことで「ペケママ さては少しは勉強したのか?」と思ってくださった皆様...全然です。

でもね、一個だけわかったことがあったんです。

なぜパラリンピックの競技のことがペケママの頭に入ってこないか⁈

きっとね、一つの競技でも選手のハンディによって細かく区分が分かれているから、それでこんがらかってしまうのね。

そのことを日本のニュースで放送された特集を見て気が付いたのよ。

その方は車いす競技に出るんだけど、自分で申請したよりもハンディが軽いと認定され、予定していたのとは違うカテゴリーで走ることになったのね。

そのためにその選手のスタッフさんたちは 競技で使う競技用車いす(レーサー)の設定を一からやり直さなくてはなりませんでした。

スタッフさんたちが必至で作業をしている様子と心配そうに見守る選手の方の表情が忘れられません。

一つの競技でもオリンピック競技の2倍3倍の競技層の幅広さ...といっていいのかどうかわかりませんが、カテゴリーがあるんだなと実感しました。

金メダルを取った日本のマラソン選手さんが まずはメダルを自分ではなく自分の伴走の方にかけてあげようとしていた、あれには本当に心を打たれました。

もちろんオリンピックでも一人の選手が競技に出るためには 多くのスタッフが縁の下の力持ちになって支えるものなのでしょうが、パラリンピックはなおのことなのでしょう。

それを選手の方が一番心に深く刻んでいらっしゃるということが とても印象に残りました。

今日の夕方のニュースで 学校観戦でパラリンピック競技を実際に見学した小学生の感想が流れていましたが、そこでも「一人の選手を支える たくさんのスタッフがいるのだと驚きました。」というような趣旨の発言をしている生徒さんがいました。

パラリンピックの選手はみんな私たちが普通にできることが 普通にできるとは限らない。

私たちと同じことをするのにとても苦労する人もいるだろうし、できない人もいるかもしれない。

だからこそ、その「ちょこっと」を手助けする人たちが必要。

何人かで「ちょこっと」を出し合っていって、すばらしい選手が育つのね。

小学生の子供さんがそれを肌で感じられるのってすごいわよね。

パラリンピックの学校観戦、巷では侃々諤々いろいろ取りざたされたけど、やっぱりパラリンピックを自分の肌で感じられた生徒さんにとってはすごいことだったんだなと思ったわ。

あらあら、パラリンピックわからない~なんて言っていた割に結構長くなっちゃった。

というわけで 今日はこのぐらいで。

続きはまた明日

 

 

 

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もやしを作ろう!

2021年09月05日 | 生活

ブラジルでは日本の食材は日本のように安価に手に入りません。

例えば「納豆」。

日本だったら4パック100円とかいうお値段でしょうが、ここマナウスでは4パックで39レアイス(約800円)。

大変なお値段です。

なのでペケママの周りでは納豆手作り族がいっぱい。

いろいろ試行錯誤した様子を聞くと、みんな頑張ってるなーって思います。

最近のブームは「もやし」。

最近ペケママ友人のクルッポン夫妻が「もやし」作りに挑戦。

それに対し食の専門家にゃんにゃん姐さんが自分の作り方を紹介していました。

姐さんによると まずもやしのもとになる豆をハンカチ等の布に包んで一日3回水シャワー。

豆を包んだハンカチの上から重しをのせます。

こうすることでまっすぐなお行儀良しのもやしになるんですって。

黒い布をかけて風通しの良いところに置くこと5日間。

立派なもやしの出来上がり!

姐さんの教えを守って作ったクルッポン夫の作。

 なかなか上手にできました!

 ひげ根はザックザクと切り取るそうです。

姐さんからはおいしいナムルの作り方も伝授されました。

おいしいーいナムルの写真が届いたら、ナムルの作り方もお伝えしますね。

さて、ペケママも浸す豆を探しに行こうかな。

あっちいマナウスでは...むりかなあ...

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どうもありがとう

2021年09月04日 | 生活

パラリンピックのことを書きたいけど、あんまり情報がない~。

オリンピックの時は毎日夜中に放送されてたけど、パラリンピックはニュースの中で触れられる程度。

なので 詳しいことを知ることができないので、なかなか書くことができない。

なので もう少し勉強してから書きます!

     *      *     *     *     *

さーてー、先日 用事があって近くの商店街に行きました。

少し時間がかかりそうな用事。

ここの商店街では普段は基本 路上駐車です。

「フラネリーニャ」と呼ばれる人たちが路上を仕切って、駐車した人からチップを受け取ります。

でもまあ、彼らに車を預けておけば一応安心だからね。

この日もそうするつもりでした。

...ところが!!

いけどもいけども 空いているスペースはなし。

道路の中央分離帯沿いは空いているスペースがあるけれど、ここは駐車禁止なのよ。以前知り合いがここに停めておいて、レッカー移動されたことがあったのよね。

さて どうするか...

ここでペケママ、用事のある場所のすぐそばに駐車場があるのを発見しました。

実はこの日のペケママの財布の中は3レアイス(約60円)

路上駐車なら十分な金額ですが、駐車場では...

でもまあ、最近の駐車場はほとんどカード支払いできますからね。

ところが!!

この駐車場はだめでした。

うーん 残念。

それではまた路上駐車の場所を探そうか...と車に戻ろうとすると...

「セニョーラ、セニョーラ」

と駐車場の係の人に呼び止められました。

「セニョーラ、空いている場所に駐車していいよ。」

「え?だって私 今 現金持っていないもの。」

という私に係の人は、

「ここの近くはレッカー移動されるし、奥に行くと路上荒らしがあるからね。現金ができた時に払いに来てくれればいいから、中に停めなよ。」

と言ってくれました。

ここに停められれば 駐車スペースを探す時間も必要なくなるし...

ありがたく係の人の厚意に甘えることにしました。

車を停めて用事のある場所に行くと...

あっさり用事が住んでしまいました。

1時間以上かかる予定だった用事が わずか5分で完了。

駐車場に戻ると、「20分までは2レアイス」の表示が。

あら、所持金内で済んでしまった。

駐車場の係の人に「借金しないで済んだわ。」

と言うと、笑っていました。

それにしても太っ腹の係の人に助けられた日でした。

ありがとうございました。

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青空の下で パレード

2021年09月03日 | 人間

9月3日、先日来の雨が嘘みたいに晴れた金曜日の朝、予定されていたように日系の私立学校の独立記念日パレードが行われました。

少し前までは裏道的な存在で、車の通りもそう多くなかったこの通り、今では近くにできた幹線道路の抜け道として朝は大渋滞になる通りです。

そこを通行止めにしてパレードしちゃおうっていうんだから、剛毅なもんだ!

車が止まって 昔ののんびりした表情に戻った通りを 生徒さんたちがパレードしていきます。

今年のテーマは「世界の国」?

年齢の小さなクラスから、クラスごとにテーマになった国の旗を持ち、衣装を着て歩いていきます。

 パレードの幕開けをする子たち

 カナダらしいね

サンバイザーまでそろえちゃって かわいい!

ペケママの前で止まって 先生の笛に合わせて旗振ってくれた。

おばちゃん 感動!

 ドイツ!

知り合いのお孫さんが映らなかった~

残念!!

 新体操のリボンの演技もあった

大きい子たち、ご苦労様。

 高学年の子供たちは音楽隊だったみたい

曲目は「オペラ座の怪人」!!

これをマーチング用に仕立てるのってすごいぞ。

このパレードは全校生の強制参加ではないけれど、それでもかなりの数の生徒さんが参加していました。

久しぶりの青空の下でのパレード。

全員マスク姿でかなり暑かったのではないかと思います。

距離にすると2㎞近くになる行程、大きい生徒さんたちは演技をし、演奏をし、小さな生徒さんたちは歩き通すだけでも大変なことだったのではないかと思います。

コロナ禍の中、これだけの準備や練習をさせる先生方もご苦労様でした。

様々なイベントが中止になっている中ですが、徐々にかつての毎日がもどってきているような気がします。

そんな気にさせてくれた 素敵なパレードでした。

ありがとうございました。

 

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それが見えるということ

2021年09月02日 | 生活

夜 ワンコ達と散歩に出ると、庭のジャスミンの木の上に ひときわ輝く美しい

星がありました。

うん、写真にとるとうまく映らないなあ。

人によっては「なんだい ただの星じゃないかい?」と思うかもしれませんが、ペケママにとってはこの星が見えるということは とっても素敵なことなのです。

 

先日56歳の誕生日を迎えました。

26歳でブラジルに来て、ちょうど30年です。

36歳の時に目の病気が見つかりました。

かなり進んだ緑内障でした。

両眼で併せて3回の手術、左目には今 房水を強制的に排出するためのバルブが入っています。

病気が見つかった当初は「いつ視力を失ってもおかしくない」と思い、とても不安で心配な毎日でした。

病気が見つかってのち リオからマナウスに転居しました。

変な言い方ですが、その当時の私にはマナウスはリオよりも医療の面でも遅れているというように考えていて、さてさて 大丈夫か?と思っていました。

幸いマナウスで良いお医者様たちに巡り合い、適切な治療をしていただいたおかげで、20年間視力を保つことができました。

緑内障は良くなるということのない病気です。

現在でも確実に病気は進行しています。

それでも元気に毎日を過ごし、不自由ながらも文字を読み、注意しながらも車の運転ができるということは、本当に素晴らしいことだと思います。

昔お世話になっていた眼医者の先生に「きっと 私が失明するころまでには 緑内障も治療法が見つかると思うのよ。」と言ったことがあります。

その先生は「ははは、それはなかなか難しいことだろうね。」と笑っていました。

この病気を完治するまでの治療法を見つけるのはなかなか難しいことかもしれませんが、それでも病気の進行を限りなく遅らせることができるような処置ができるようになる日が いつかは来るのではないかと思います。

そんなことを思う私。

毎晩空に輝く明るい星を見つけられることが 本当にうれしくてなりません。

そんな夜が一日でも長く続きますように。

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ノストラダムス かく語りき

2021年09月01日 | ブラジル雑記

ニャンコのトイレのお掃除のため 古新聞をひっくり返していたら、2019年の年末の新聞が出てきました。

古い新聞記事って けっこうおもしろい。

ふんふんって読んでいると...

市民版ほぼ一ページを使って「2020年はこんな年になる!」という記事が組まれていた。

本職の占い師さんが2020年を占っているの。

占ったのはアフリカ起源の宗教カンドンブレの師(?)pai do santo と呼ばれる方らしいです。

個人的には新聞でこんなこと一面使ってやってもいいのか?という気もするのですが、多分この日は特別なニュースもなかったんでしょうね。

彼はbúziosという貝占いで占いました。

色々な形のものがあるみたいです。

というわけで、この占い師さんが示した2020年とは...

「実現の年」である!

sendo de realizações e decisões

これまでの人々の努力が実り、様々なことが実現される年である。

年末年始に「占い師」さんのところに行くと、たいてい言われますわな こんなこと。

タロット占いであろうと、水晶占いであろうと、人相占いであろうと...?

でもね その続きがあったの。

「そのために 人々は大変な代償を払わなくてはならないだろう。」

mas de muita cobrança tanbem, cada qual vai pagar o que deve, não tem como...

おおお!

この部分を読んでしまったので、わざわざ今回にしようと思っちゃったのよ。

2020年初め、だれがその3か月後に世界的なコロナ禍(パンデミア)が起こるなんて想像できたでしょう?

占い師さんがこんなことを言っていたこの時期、うちの娘などはのんきに日本旅行に行っていたのよ。

わざわざ年末の占いでこんなことを言ってしまった占い師さん。

あなたがこう示した2020年、まさにまさに!人々は多大な代償を支払う年になってしまったわ。

でも、この新聞でこれを読んだ時点ではだれもそのことについて真剣に考えた人はいなかったでしょうね。

占いや予言なんてそんなものよね。

当たらなかったら、「やっぱりね」と思う。

でもね、今回ばかりは「おおお!そういうことだったのか!」と思ってぞっとしちゃったわ。

そんなこと言ったらノストラダムスさんの「世界滅亡予言」は当たらなくてよかった。

 

コロナ禍の到来で人々が驚き混乱した2020年、ワクチン接種でコロナとともに生活を営んでいこうと人々が努力している2021年。

今年も考えたらあと4か月で終わりなのよね。

2022年はどうなるか。

ぜひまたこの pai do santo の占いを読んでみたいと思ってしまいました。

古新聞 保存しておこうっと!

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