武節城があった愛知県豊田市武節町は、長野県・岐阜県との県境です。
したがって、ここは信濃・美濃の侵攻を防ぐ三河の国境の城だったわけです。
猿投グリーンロードから、国道153号を快走します。
かつて飯田街道とよばれたこの道は現在でも名古屋・豊田と飯田・塩尻を結ぶ主要道であり、道幅も広く整備されています。
それでいて適度なカーブ、アップダウンがあるので、バイクで走っていて気持ちの良い道です。
天気の良いこの日は、駐輪した「道の駅 どんぐりの里」はバイク・自動車でいっぱいでした。
とりあえず、フランクフルト
隣町(といっても28kmも離れていますが)で、この春食べたフランクが人生至上最高においしかったので、おもわず飛びついちゃいました。
まあ、これはこれでおいしかったです。
道の駅のすぐ北にあるトンネル。
このトンネルの上に武節城はあります。
看板の下にあるうどん店も気になりますねぇ。
散策が済んだら寄ることにしましょう。
うどん店の前を通り過ぎて少し歩くと登城口です。
湧き水を水筒に詰めて、いざ出立!
山城ではなく、小高い丘に建てられた平山城ですので、5分ほど坂を登れば到着します。それでも、息は切れ切れですが・・・
武節城は3つの曲輪が階段状に作られています。
一番低いところにある三の丸
一段高いところに二の丸があります。
さらに、その上にある本丸
1571(元亀2)年、信長包囲網に呼応した武田信玄は2万5千の大軍を率いて三河侵攻を開始しました。
この際、武節城はなんと戦わずして武田の軍門に下ってしまいました。
しかし、この後信玄は体調を崩したため、退くこととなりあげくのはてに病死してしまいます。
1575(天正3)年、信玄の息子勝頼は三河に侵攻し、徳川・織田連合軍と激突することとなります。長篠の戦いですね。
敗れた勝頼は田峯城主菅沼定忠に伴われ撤退しますが、すでに田峯城では謀反が起こっており入城できず、命からがら武節城にたどり着き、梅酢を飲んで一息ついたとの言い伝えがあります。
「武田勝頼ゆかりの城」とははこの時のことを指しているのでしょう。
夏焼城は標高889mの山頂にあり、本格的登山となります。
またの機会に行ってみたいと思います。
本丸の一段高くなったところには物見台や狼煙台がありました。
現在は神社となっています。
「おお!お宝めっけ!」
道の駅に隣接したどんぐり湯へは散策終了後に寄ってみようと思っていました。
何がいただけるのかな?楽しみです。
蔵屋敷跡
空堀の跡
築城から五百年たちかなり埋もれているが、概要を伺い知ることはできます。
外曲輪
このように草に埋もれておりました。
武節城の見学を終え、夏焼温泉側へ山を下りました。
名倉川沿いに遊歩道が設けられていたので、歩いてみました。
歩いて行くにつれ、だんだんイイ感じになっていきます。
川面も間近から見ることができます。
吊り橋を渡って、反対岸へ移動します。
もうしばらく立つと、紅葉が綺麗なんだろうなぁ。
(後半に続きます)