江戸時代の身分制度は複雑であり、なかには例外的なものや特殊なものも存在していました。
殿様の世界も同様で、ピンからキリまで複雑だったようです。
美濃国石津郡・多良郡を治めていた西高木家(2,300石),東高木家(1,000石),北高木家(1,000石)の三家は「美濃衆」とよばれ、旗本でしたが大名的に扱われ、公儀の役務を負い参勤交代も行っていたので、交代寄合と呼ばれていました。
三家とも少禄のため城は持てず、陣屋が置いていました。
このあたりは、鈴鹿山脈と養老山地に挟まれた山間の小さな盆地で、北は関ヶ原に続きます。
【西高木家陣屋】
西高木家陣屋跡には、上石津郷土資料館が置かれています。
殿様の世界も同様で、ピンからキリまで複雑だったようです。
美濃国石津郡・多良郡を治めていた西高木家(2,300石),東高木家(1,000石),北高木家(1,000石)の三家は「美濃衆」とよばれ、旗本でしたが大名的に扱われ、公儀の役務を負い参勤交代も行っていたので、交代寄合と呼ばれていました。
三家とも少禄のため城は持てず、陣屋が置いていました。
このあたりは、鈴鹿山脈と養老山地に挟まれた山間の小さな盆地で、北は関ヶ原に続きます。
【西高木家陣屋】
西高木家陣屋跡には、上石津郷土資料館が置かれています。
大垣市上石津郷土資料館
所在地:岐阜県大垣市上石津町宮237-1
開館時間: 9:30~16:30
休館日:毎週火曜,祝祭日
入館料:一般100円,18歳未満無料
入館料100円の郷土資料館となると、高校の郷土研究部の発表程度の展示に農家の納屋で埃をかぶっていた農機具や調度品が置いてあるぐらいで、あまり期待はできないものですが、ここはよい意味で裏切られました。
郷土の歴史や自然に対しかなり詳しく展示されておりましたし、企画展も興味深いものでした。
関ヶ原の合戦の際に島津隊はこの地を通って退却したそうで、これもウリにしているようでした。
郷土資料館には上屋敷が、向かいの駐車場には下屋敷が置かれていたようです。
所在地:岐阜県大垣市上石津町宮237-1
開館時間: 9:30~16:30
休館日:毎週火曜,祝祭日
入館料:一般100円,18歳未満無料
入館料100円の郷土資料館となると、高校の郷土研究部の発表程度の展示に農家の納屋で埃をかぶっていた農機具や調度品が置いてあるぐらいで、あまり期待はできないものですが、ここはよい意味で裏切られました。
郷土の歴史や自然に対しかなり詳しく展示されておりましたし、企画展も興味深いものでした。
関ヶ原の合戦の際に島津隊はこの地を通って退却したそうで、これもウリにしているようでした。
郷土資料館には上屋敷が、向かいの駐車場には下屋敷が置かれていたようです。
長屋門
1852(嘉永5)年、建造の下屋敷御門を移築しています。
この奥には明治年間建造の主屋がありましたが、公開されていませんでした。
郷土資料館の西は一段高くなっていました。
分家である東高木家と北高木家もそれぞれ小さな陣屋を建て、隣接していたようです。
陣屋入口は石垣に囲まれています。
高さはたいしたことないものの、曲線を帯びて積まれています。
埋門跡
この角度で見るとちょっと迫力があります。
【東高木家陣屋】
西高木家陣屋の東に、東高木家の陣屋がありましたが、現在は、土蔵が残されているのみです。
1852(嘉永5)年、建造の下屋敷御門を移築しています。
この奥には明治年間建造の主屋がありましたが、公開されていませんでした。
郷土資料館の西は一段高くなっていました。
分家である東高木家と北高木家もそれぞれ小さな陣屋を建て、隣接していたようです。
陣屋入口は石垣に囲まれています。
高さはたいしたことないものの、曲線を帯びて積まれています。
埋門跡
この角度で見るとちょっと迫力があります。
【東高木家陣屋】
西高木家陣屋の東に、東高木家の陣屋がありましたが、現在は、土蔵が残されているのみです。
海鼠壁が綺麗です。
西高木家陣屋,北高木家陣屋とは伊勢街道で、隔てられていました。
当時の伊勢街道は蔵の北側に曲がっていました。
現在は行き止まりになっています。
伊勢街道
道の左が東高木家陣屋跡、右が東高木家陣屋跡、石垣は当時からのものかもしれません。
【北高木家陣屋】
写真中央の道は伊勢街道の新道です。
ここは、陣屋跡地の中央にあたります。
よって、遺構は何も見当たりませんでした。