橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

美濃路を歩く その7(枇杷島橋)

2015-02-04 | 街道を歩く


名鉄本線のガードをくぐります。

【枇杷島橋】
庄内川まで来ました。


以前かけられていた枇杷島橋のレプリカです。

 


現在の枇杷島橋です。
この橋を渡ります。

さらば名古屋市
 

左手にはJR東海道本線と新幹線が、

 

右手には名鉄本線が並行して走っています。
 


こんにちは清須市
2005(平成17)年、清洲町・新川町・西枇杷島町が合併して、清須市となりました。
「清洲」ではなく「清須」であることについて、市のHPでは、古来、両者が使われており、むしろ清須の方が古い表記であると述べていますが、
私の聞いた話は、清洲町の名に新川町の中心部である須ヶ口の文字を当てはめたというものです。
で、残された西枇杷島町は今でも「清須市西枇杷島町」と住所に残すことで納得したそうです。

枇杷島橋を越えると美濃路は西に向かい東海道本線と新幹線と交差します。
 

【西枇杷島問屋記念館】
西枇杷島本通り入口には枇杷島市場が開かれていました。
江戸の神田、大坂の天満と並ぶ日本三大市場として栄えたそうです。
 


問屋記念館は、山田九左衛門家の住居を移築復元し、青物問屋の様式を伝える建物です。

 

 



 
 

横に短く縦に長い町家造りです。




 

(続きます)


 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いつのまに・・・・? | トップ | 美濃路を歩く その8(西枇... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
難しいところ (橋吉)
2015-02-05 06:24:22
>SevenFiftyさんこんにちは
歴史ある地名を残すことには依存ありません。お隣の北名古屋市なんか安直で、名古屋市北区と混同されてしまうし、しょうもないネーミングです。

>訪れるたびに古い家屋が無くなっています。
これは感じました。ただ、景観保存といって表通りの見た目だけ昔風にした映画セットのような街もつまらないです。
返信する
こんばんは (SevenFifty)
2015-02-05 00:10:20
こんばんは。
SevenFiftyです。

>残された西枇杷島町は今でも「清須市西枇杷島町」と住所に・・・
おかげでわけわからん長い住所名になっていますね、。
西枇杷島は数回訪れています。
訪れるたびに古い家屋が無くなっています。
景観保存が遅すぎましたね。
返信する

コメントを投稿

街道を歩く」カテゴリの最新記事