デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




これまで「番所」から「大嶽(おおづく)」のルートは歩いたことは紹介した。
昨年の3月に、「番所」から「大嶽」のルートの対面にあたるともいえる(まだ行っていなかった)陣跡に行ってみた。





この図でいえば左の
山の上の二つの陣跡


北国脇往還(ほっこくわきおうかん)

小谷城跡の南側には今ではほとんど面影をとどめない街道の説明があった。
北国脇往還は木之本宿(滋賀県長浜市木之本町)で北国街道から分岐し、美濃国関ヶ原で中山道に合流する街道とある。
かつて小谷城下を通過する主要街道として戦国時代にも多くの武将が通り、お市の方が浅井長政のもとへ輿入れした際にもこの街道が使われたとみられ、信長が小谷城を攻撃するために辿った経路であった。







江戸時代には北陸諸藩の参勤交代のルートとしても使われた。大名だけでなく松尾芭蕉もこの街道を使った可能性が高く、伊能忠敬もこの街道を測量しつつ越前・加賀へ向かった。




小谷城跡の西ルートで
大嶽に向かう山道の入口。
動物の侵入を防ぐため、
通ったら必ず閉めて行くこと
との注意書きがあった。


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このあたりは近江京の時代の辛崎(唐崎)の港があった琵琶湖の西岸と近い(JRで1駅分と徒歩ぐらいの距離)ので、どことなく歴史的なものが混在している。蕎麦屋さんがある日吉大社の周辺は閑静かつ歴史的なものを感じさせる落ち着いた雰囲気だった。笛と小太鼓の音がとてもノスタルジックに聞こえたし、周囲に心地よく響いていた。


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御神楽が始まる前にはすでに注文した蕎麦が来て半分ほど食べ終えていたのだが、店員さんの親切で「これから始まりますのでよろしければご見学ください」とのことだったので、お言葉に甘えることにした。有難いことだった。


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先月下旬、隣県の老舗の蕎麦屋へおいしい天ざる蕎麦を味わいに行ったら、偶然にもその日は地域で御神楽が舞われる日だった。



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いつも運動がてら登っている山でスイス人の留学生と知り合って久しいが、その留学生が友人を連れて登ってくることがある。その友人がスイスのチョコレートを持って登ってきた。一箱に18個ぐらいだったか入っていて、包み紙の絵柄は1個ずつ異なっていた。スイスの風景や名所がプリントされていたが、私がお裾分けをいただいたのはチューリヒの写真のものだった。なかにはグリンデルワルトのものもあった。夢が詰まってるなぁと思った。


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夕方、少し桜を見に行けた。多くがまだ5分咲き程度だろうが木によっては8分咲きになっていたりする。



晴れで気温が上がった日が続き、そこで昨日の雨だったことから、一気に咲いたのかも。


週末の雨の前に
見れてよかったかも


上からだとまだ
こんな感じだった


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転害門

実は、この件以降に2回ほど奈良に遊びに行った。






奈良にはコロナ禍前だろうが以降だろうが何度も行っているので、マスク警察おばさんとの遭遇が奈良に対する印象の「一事が万事」ではないのだけれども、あぁいう不当な目に遭わないに越したことは無い。



鹿が珍しいアクションを
披露し歓迎してくれた(笑)

これから800万年ぐらいしたら、猿人ならぬ鹿人に進化するのかもしれぬ。


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積雪  



24日の夜から降った雪は十数年振りにけっこう積もった。きつい寒波が来ているのが実感できた。24日の夜には立ち往生する車も見かけたし、昨日は、おそらく雪のせいでスリップしパトカー相手に事故を起こしてしまったであろう事故現場を目撃した...。


京都駅の南側の通りですら昼頃でもまだ車道の中央に雪が残っていた。


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楼閣があったことの
根拠の一つかあ…。










なんかこの絵面
見たことあるなぁ























何度も楼閣を撮って
しまう遺跡見学だった。


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ただの貯水池と思っていたら、
まさかの弥生時代の農業用溜池
だったとは。きれいな四角だ。

公園内には発掘の様子を再現した展示もある。










模型による弥生時代の豊作を祈るおまつりの説明もあった。

















公園内の櫓や大型建物跡を見るだけでは分からないことが、この展示で建造物の使われ方のイメージがはっきりした。


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