デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



理知的で精神を重んずる…などと書けば、えらく退屈な話になるように思えてしまうが、そんなことをベースにした哲学や法律や小説の書物なら辟易しても、絵となったらそうは感じることなく、たとえ少しぐらい恣意的であっても抵抗を感じるどころか美しいと思うものがある気がしている。とくにフランスのバロック美術を代表する、ニコラ・プッサン(1594-1665)の描いた絵を見たときなんかがそうだ。ただ、以前にも書いたように、プッサンの絵にはとても惹かれるのだが、鑑賞にあたっては非常に手ごわい。
ルーヴルにはそんなプッサンの描いた傑作が充実している。下の絵は「四季(春夏秋冬)」を表していて、プッサンが晩年に描いた風景画として有名なのだが、この連作がルーヴルの特別めいたようなスペースに、対角線上に展示されているのを見たとき、かなり重宝されていると感じた。(絵の横幅は160cmぐらいある。)


「春~アダムとイヴの青春~」

下手な画像で申し訳ないが、画面中央に知恵の木の下で青春時代を送る、アダムとイヴの姿、そして右上には神のいるところが描かれている。要するに旧約聖書の「創世記」にあたる。


「夏~ルツとボアズ~」

これは旧約聖書に出てくる嫁と姑の話である。姑のナオミが夫と息子を亡くし独りになった。嫁のルツは姑のナオミによく尽くすが、ルツ自身も夫(ナオミの息子)を亡くしていた。ナオミはルツに故郷へ帰って新しい人生をやり直せと言うが、ルツはナオミと生きていくと決心したので、二人はともに過ごす。やがて二人はナオミの故郷ベツレヘムに帰るが、そこにはナオミの亡き夫の親類である大地主ボアズがいた。
ルツはボアズに、ナオミを養うため落穂拾いをさせてくれと懇願し、ボアズは彼女の姿勢や心意気に打たれ彼女を厚遇し、のちのちルツとボアズは結婚してその子孫には二代後にダヴィデが…といったまるで講談か浪曲か義太夫に出てくるような「美談」の一場面がこの絵なのだ。
画面の手前で跪いて、落穂拾いを願い出ているのがルツ、その左がボアズというわけだが、この絵の人物配置といい、キリスト教でいうパンを象徴する豊かな穀物の描きかたといい、「四季」のなかでもこの絵は抜きん出ているものがある。


「秋~収穫~」

イスラエル民族の約束の地カナンの葡萄が描かれている。それにしてもデカイ。これは巨大植物というわけじゃなく、キリスト教の円熟の譬えとか、キリストの最後の晩餐で飲まれる葡萄酒とか、そういうものの象徴らしい。でもこの絵からは、そう説明されないと、そんな発想は出てこなかったというのが正直なところだった。


「冬~大洪水~」

こんな場所に放り出されたら、生きておられないと思える。ノアの箱舟の話で有名な大洪水のイメージ、要するに最後の審判のイメージである。画像では確認しづらいが、奥のほうでは箱舟や画面左には悪を象徴するヘビが描いてあったりする。

というわけで、春夏秋冬をテーマにしつつも、ただ特定の土地の生業を風景画として描くだけでなく、寓意をかなり盛り込んでいるのがプッサンの絵の特徴なのだ。
現地ではよく英語で館内ガイドを聞く団体の傍にいて、ヒアリングすらまともにできないのに、解説を聞かせてもらった。そのなかで、ロケーションやアレゴリカルやらバイブルやらそんな単語をたくさん聞いた。聞いている人たちも眉間に皺寄せて聞き入っていた。

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