デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ターナー「嘆きの橋、ヴェネツィア」(1840)

フランスの作家マルセル・プルーストの大長編『失われた時を求めて』には、芸術はどういったところにあるのかを探し求めるという大きな要素がある。
作中の登場人物にも画家や音楽家が登場するのだが、作中に出てくるエルスチールという画家の描く作品には「隠喩」が描いてあって、その描写はターナーの作品ではないかと思うほどなのである。もちろん、エルスチールの作品には他の画家の作品の影も見出せ、ホイッスラーやマネ、モネといった画家たちの作品の影響があるかもしれないことも見逃せない。
展で「嘆きの橋、ヴェネツィア」を見たとき、この陸地と海面の境の規定がはっきりしない描き方に、厳密には異なるんだが、プルーストの作品のことを思い出したものだった。まるで陸にあるものを海の用語で喩えたり、その逆とかいったことでなく、光のマジックのせいで陸地と海の境界線を自由に流れるように移動できてそこにものの見方の垣根を取り払うような印象を得るヒントを示唆してくれているかのように。

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