デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



パルラメント広場

アウグストゥスの日時計の指針に用いられていたオベリスクは現在モンテチトーリオ宮の前に据え付けられているが、では日時計がかつてどこに設置されていたかとなると、この画像の場所パルラメント広場ではないかとされている。というのは1748年にパルラメント広場とサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会の間の道路工事中の時に、その場所でオベリスクが発見されたからである。ちなみにモンテチトーリオ宮前のオベリスクからパルラメント広場へは歩いてすぐ、ずばりモンテチトーリオ宮の北側であった。
パルラメント広場にあった日時計はすぐ傍にあったアウグストゥスのアラ・パチス(平和の祭壇)に、アウグストゥスの誕生日にアラ・パチスの方向を指すように置かれていたという。アラ・パチスも昔の場所にはなく、現在はアウグストゥスの霊廟の近くに移設されている。

ところで、ゲーテは1787年9月にオベリスクについて

ぼくはいま、尖頭のスフィンクスと、他のスフィンクス、人物、鳥類などの顔面を型どらせ、石膏像を作らせている。これらのはかりしれぬほどの価値のある物を所有していなくてはならない。ことに、うわさでは教皇がそれを直立させようとしているとのことで、そうなると象形文字にはもはや手が届かなくなるからだ。

と書いていて、こわれたまま横たわっている状態のオベリスクの刻まれたヒエログリフを石膏像として残そうとしたようだ。
再発見されてから44年後、時の教皇ピウス6世はオベリスクを現在の場所に据え付けた。教皇にとってみれば街の再開発や再整備の諸々の事情があったのだろうが、もし元の場所で立て直されていたなら、ムッソリーニはアラ・パチスを移設しなかったかもしれない。

つづく

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