デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



トム・ジョウンズ』以来の越年読書となってしまうかも、とか思ったが年内に読了できてよかったと思っている。不思議なもので『第二次ローマ滞在』に突入してから自然と読書ペースが上がった。
本記事は『イタリア紀行』の後半にあたる『第二次ローマ滞在』について触れる。『第二次ローマ滞在』(途中)については、先日こちらにも記事を書いているが、その続きとなっているとは到底いえないかもしれない。(ちなみに前半はこちら

ゲーテについて、旧態依然のシステムの代表や象徴みたいにとらえ、旦那臭を発しつづける偉そうな奴だからうんぬんといった感想をときどき文章で読んだり人の口から直接耳にすることがあった。私も、いまでもゲーテの作品や文章に反感を抱く人たちの気持ちが分からなくはなく、『イタリア紀行』でも偉そうな奴だなと感じさせるところはあったように思う。
ただ、『第二次ローマ滞在』に入ると、偉そうな奴うんぬんと距離を置く態度をとるどころか、ゲーテが抱いた思いが他人事ではないように思えてきた。彼がイタリアへ旅立つ前の懇意にしていた人々との人間関係を清算する苦しい思いを抱いていたことを知るとなおさらである。
旅行案内書として若くして『イタリア紀行』を読んでも、ゲーテが新たに生まれかわるためにイタリアへの旅が必要だったことを、理解するのは難しいのではないかと、今ならば思う。『イタリア紀行』は若くしてゲーテやトルストイに親しみ、なんらかの反感を抱いた人が歳を重ねてから紐解く作品かもしれない。

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