ダニエル・デフォー(武田将明 訳)「英国十八世紀文学叢書『ペストの記憶』」(研究社)読了。
ETVの「100分de名著」にて紹介されていたことで俄然興味がわいた作品。
それまで私は標題に「ペスト」とある外国文学やルポはいくつか知ってはいたが、『ロビンソン・クルーソー』を書いたダニエル・デフォーが人獣共通感染症のペストについての小説(かつ観察録)を書いていたことは知らなかった。
読んでみると、半分も読まないうちに、2020年から続くコロナ禍によって国内および外国で起こった事とあまりにも酷似しているので、結局人間は同じ事を繰り返して、過去の教訓から何も学んでないことを痛感させられた。もちろん、今の世界ではそこまで認められないようなエピソード、危機を前にして市内のあらゆる宗派が敵愾心もなくしていき、説教の場をあらゆる宗派が使ってもよいことになったものの、ペストが終息するにつれ、再び他の宗派を迫害するようになってしまうといったことなどの違いのあるものはあるといっていいだろう。しかし、作品に描かれていることは、本当に感染症の名称と発病してからの症状が異なるくらいで、感染症が大都市に猛威を振るったことで、その危機に対峙する都市の人間の反応と行動は今とほとんど同じじゃないかと思う。
1回25分未満で計4回の番組内で触れることのできるテーマは限られるので、深くツッコめないこともあったろう。しかし作品を手にしてみると、訳者解題にあるとおり、
こうして明らかとなるのは、表面的な秩序を維持するために市民の身体を家庭のなかまで管理し、秩序を逸脱する存在(病人・死体)を徹底して排除するという、近代的な権力のあり方だ。この権力は、市民の生命を護ると言いながら、「穀潰し」(二五五ページ)と呼ばれる貧民たちにもっとも危険な仕事を割り当て、その生命を犠牲にすることは厭わない。ミシェル・フーコーのいう生権力が、ここでは剥き出しにされている。
(中略)
そしてこの、ペストという危機を背景に、近代市民社会の根本を抉り出した点にこそ、本書が現代人に強く訴える秘密がある。
上掲書 p355
のであることは深く考えさせられるし、他にも厳しい内容があることは読んでみないとわからない。実際、かつて多くの死体が埋められた場所の上に豪邸が建ったエピソードは番組内でも採り上げられていたが、その死者の扱いがあんまりで終息すればどこ吹く風ではないか、といった指摘以上に、自然災害などの緊急事態が起こったことで現れた「空き地」(無主の地(テラ・ヌリウス))の原住民を追い払い、その空き地をリゾート開発の地にしてしまうといった、災害時の思考停止状態につけ込んで掠め取る現代のディザスター・キャピタリズムの問題をも髣髴とさせるということができるように思うのだ。
世界を覆うこの事態だからこそ考えることはたくさんある。作品の内容は今でも問題やものごとを考えるにあたって参考以上のものとなるように思う。