陣跡の碑らしきものが
細川忠興陣跡
いまは児童公園か
うっかり忘れてしまうことがあるのだが細川忠興の妻の細川ガラシャは明智光秀の三女なのだ。何かの番組で聡明で教養も高かった細川ガラシャが生き延びて、本能寺の変から豊臣氏の滅亡(細川ガラシャが生き延びてなお大坂の陣で滅亡していたらの話だが)までの回想録を残してくれていたらそれこそ第一級の史料になったろうと早すぎる死を惜しがる歴史研究者の言は印象深かった。
細川ガラシャとキリスト教布教について、昔だったら、戦国の世にあって「神のもとに身分など無く皆平等」などと言われ続けたら大名や庶民問わずキリスト教に傾倒したり改宗した人がいてもおかしくないし、そんな当時にあって「ありがたい宗教」を弾圧した歴史に自虐史観を覚えたことだろう。そしてバテレン追放令やキリスト教禁教と、権力闘争や風雲急を告げるなかでの細川ガラシャの死とは実質的に関係ないにもかかわらず、一緒くたにして感傷的になっていたかもしれない。
今は、細川ガラシャが非業の死を遂げた事には変わりないと思いつつも、ポルトガルとスペインが武器を輸出して利益を挙げるとともに布教によって日本をキリスト教国へと改宗・変心させることと、日本の銀の搾取することをワンセットにした侵略と植民地化の目的を遂行しようとしていた事実を知っているので、そのことを思うと複雑な気持ちになる。