デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



「イエスタデイ」 
…冴えないミュージシャンが大怪我を負って目覚めたらビートルズやその楽曲が一切知られていない世界に転移したという設定はおもしろかった。ある重要人物が自身の経歴とはかけ離れた世界では健在であることが分かるシーンに思わず微笑んでしまった。

「ブレードランナー」 
…『電気羊』の作者が見たらちょっとガッカリするのでは。制作された当時はセンセーショナルだったことは映像で分かる気がした。

「ボヘミアンラプソディ」 
…フレディよりもブライアンのほうが再現性が高いのではと思ってしまった。

「博士の異常な愛情」
…3度目の鑑賞で、この作品のカルカチュアと笑いどころがようやく分かった。

「暴力脱獄」
…いつも途中で見るのをやめていたが、ようやく最後まで見た。

「プロヴァンスの休日」
…世代間の価値観のギャップが巧く表現されていたように思うし、しかし若い頃なら誰もが最優先にする価値観もきちんと表れていておもしろかった。

「敦煌」
…子どもの頃に見て、戦闘シーン以外、まるで内容が頭に入っていなかったので再鑑賞。がんばって制作されたことは伝わったが、こんなエンタメ?な内容だったの?と肩透かしを食らった気分だった。展開的に無理があるだろ?と途中から脳内でツッコミを入れながらなんとか見れた。

鑑賞しに行った特別展など
「藤田嗣治 心の旅路をたどる」
「生誕100年 回顧展 石本正」
「特別展古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」
「特別展 雪舟伝説 ―「画聖(カリスマ)」の誕生―」
「松尾大社展 みやこの西の守護神」
デ・キリコ展
美しい春画
「秋季特別展「眷属」」
世界報道写真展2024

来年もうまく時間を見つけて未見の映画作品を見たり、積極的にいろいろな展に足を運びたいものだ。


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フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
…映画「ブレードランナー」の原作。原作を読んでから映画のディレクターズカット版を鑑賞したが、映画は原作者に失礼な出来ではないか?と思った。作中ではアンドロイドよりも人間の方が性質が悪いと思わせるエピソードもあったりするので、けっこう悩ましかった。この先の世界でAIをさらに進化させたASIなどの存在が、人間よりもはるかに優秀で汚職に無縁な「政治家」として国や世界を統治することになったとしたら、それはそれで人間至上主義でなくてもよいようにすら感じさせるくらい、原作のエピソードはリアリティを持っていると思った。

『三国志演義』
…なんという個性的で魅力的な人物達であふれている作品だろうと思った。
「三国志」の代表的なエピソードはいくつか知ってはいるものの、『三国志演義』を読み通したことがなかった。よって虚実入り混じる物語であったとしても、黄巾の乱からどういう経緯で「天下三分の計」に至ったのか改めて知ることができてよかったし、エンタメとしてもとても楽しめた。物語の主人公は前半は関羽で後半は諸葛亮であることも納得できたし、曹操も「演義」にあっては酷い書かれ方をされていることも実際に読んでみてよく分かった。
私個人は「演義」の内容であっても、なんだか曹操は魏を治める者としても労苦を厭わず部下からの信望も厚く、きちんとやることはやることで人々から支持された有能な政治家であるのは目を見張った。曹操やその後継者達の人となりを知る手掛かりとして彼らの自作の詩を探すために古典文学大系などを繰ったほどだ。
作品の意図は魏を悪役に仕立て蜀の英雄っぷりを強調させるところにあるが、蜀のやることなすことは、領民はよろこんだであろうものの、やたら「人徳」や「情」を優先させるもので結局は内部から蜀が弱体化していくことになるし、呉と共闘した赤壁の戦いで勲功のある呉の土地をまんまとせしめるというか掠め取り、まさに生き馬の目を抜かんばかりといったような所業も少なくないように感じた。感じたことは他にもたくさんあるが、とても書ききれない。

カート・ヴォネガット・ジュニア 『タイタンの妖女』
…某動画のこれだけは読んでおいたほうが良いSFとして挙げられていたので手に取った。『華氏451度』『月は無慈悲な夜の女王』などのような作品に強い印象を受けてしまうので、『タイタンの妖女』については正直なところ何がおもしろいのか?、この話はどういった話なのだ?と疑問符ばかりがつき、魅力が分からなかった。しかし、ネタバレ御免の解説動画で作品について熱く語る人の内容を聞いて、あぁ、たしかに人間の世界での人が懊悩するものすごく大きな出来事や現象なんて、人知の及ばないような宇宙が小指を動かしたり痒いところに手を届かせたい程度のことから引起こされる、ようするに大きなことのそもそもの原因はちっぽけなこと、ということを言いたかったのだと分かったら、冒頭と最後のセリフに読者として「やられた(笑)」と脱帽するしかなかった。

スティーブン・キング『呪われた町』
…文庫本で上下巻の分量だが、ホラー系にあまり関心が無く読書ペースの遅い私が一週間以内にむさぼるように読んでしまうぐらい、本当におもしろかった。漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の作者が影響を受けたであろう作品であることがよく分かった。

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』
…読んだことがあるようで無いようなタイプの作品だった。歴史や技術発展などの薀蓄を傾ける教養主義的な小説かな?と思いながら読んでいたが、ラストになると文芸ってこんな風にもおもしろくできるんだ、と感服した。有名かつ歴史的な偉人であってもほとんどの人に知られていない別の側面があるものだが、そういった側面に対して想像力をふんだんに用いてスポットを当て、もし別の世界線だったなら?と思いを馳せさせてくれる傑作だった。
この作品が読めたことで、あとで読んだ原田マハの作品にすんなり入れたのだと思う。

四方田犬彦『われらが〈他者〉なる韓国』

原田マハ『風神雷神』
…山田五郎の動画でも触れられていたこともあって関心を抱き、手にしたら一気に読めた。
清々しい気持ちなった。作者の絵画愛および夢想がここまで突き抜けたのなら、読者としてむしろ気持ちが良い(笑)。プロローグで出てくる地名も馴染み深い所が多くとても身近に感じた事もあって作品世界にスッと入り込めたし、安土桃山時代がバロックに差し掛かる時期と地続きであることを再認識させられた。

ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』
…ジェイムズ・ジョイス作品の代表作を一作品だけ読み通したことがあれば、意識の流れ文学はもういいやと、ずっと思っていた。読んだ、という経験だけをひけらかしたかった私の心理は作家に対して失礼だったな、と今にして思う。20世紀初頭の文学の潮流である「意識の流れ文学」だからひれ伏して拝みつつ、有難がったりしている間にも、すなおに作品のなかの誰の感情の動きなのか分からなくなってしまう語り手を自己同一視してしまいたくなるすごさに驚いていればよかった、と後のまつりなことを考えてしまった。
それはともかく、少なくとも私はこの作品の魅力や凄みを感じさせるところは、社会的経験がある程度蓄積し、自己を客観視できる状態でないと分からないように思う。とはいえあらゆる年代でも、作品に出てくる夕食の場面ような気まずい雰囲気は、どんなに長い年月いっしょに過ごした仲の人であったり身内で構成された食事会であっても、誰もが日常で嫌でも繰り返され、本当にあんな感じだよなぁ、言葉にはならない気まずい雰囲気ってあるよねぇ…と、よくぞここまで表現してくれました!といわんばかりになるのではないだろうか。
夕食の場面だけでなく、冒頭の夫妻や息子とのやりとりから、第三部の灯台へ着岸する場面まであまりに共感できる意識の流れの描写が途切れないし、偉そうな父親や男性の実際の心理や感情や親子関係や人間関係のリアルってこうだよね、と苦笑とともに、どこかほがらかかつほっこりした気持ちにさせるところに舌を巻いたし、ただただ、すごかった。(第二部の疾風の如きすさまじいダイジェスト描写についても触れたいが、なんというか言葉にならん(笑))
普段の日常の場面で頭に浮かんだり無意識で思ったりすることを、難しい言葉を使うことなく気取ることなく、ここまで緻密に描ききったこの作品はずっと読み継がれるように思えてならない。


越年読書は『金瓶梅』、『一九八四年』の2作品。

来年も読書はボチボチ続けられればと思う。


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リードオフマンだけでなく、すべての野球選手が憧れた存在だった。肺炎だったとのことだが、65歳は早い気がする。
ご冥福をお祈りいたします。


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景福宮を建てるにあたり、風水地理で
重要視された山の一つ仁王山が見える

工事のため光化門(クァンファムン)からは景福宮に入場できなかったゆえ、来た道を西に引き返した。

(たぶん)維和門が写る

西側の入口から入ったが入場券売り場が見当たらないので光化門の内側の方へ。そこでもチケットブースが見当たらなかった。でも、誰もチケットを手にしていなかったので私もそのまま入った。

光化門の内側で守門将交代式が行なわれていた。












号令の太鼓の音が「ドン」と響いていた。見学客が多かったのでこういう感じだったが、見れてラッキーだった。

ところで光化門は日韓併合を経て朝鮮総督府庁舎が建てられてから総督府により景福宮の東門である建春門(コンチュンムン)の北側に移転された歴史を持つ(1927年)。
再び元の位置に戻されたのは(たぶん)1968年で、その際コンクリートの土台で復元された。(「たぶん」などと書くのは書籍によって記述が異なるというのもあるし、私なりに光化門の昔の写真と自分が撮った画像を見比べて考えた結果である。)
1968年に復元された門に、(私が目にした門の土台の新しさからして)更なる復元や修復や補強を重ねた工事を2023年9月の時点(もしくはそれまでに)でやっていたようだ。
(後記:こちらによれば上の画像(2023年9月の時点)での光化門に至るまでには、紆余曲折があったようだ。)

興禮門(興礼門、フンネムン)

韓服を着た人たちでいっぱいだったので忘れそうになったが、1995年までここには旧朝鮮総督府庁舎(1916年着工、1926年竣工)が建っていたのだ。
知られているとおり、旧朝鮮総督府庁舎の解体は「景福宮の復元」の始まりを意味していた。ただ、旧朝鮮総督府庁舎の解体については韓国国内でも負の遺産としての保存論があり解体に反対の声もあった。しかし、景福宮復元事業を推進する論や声には多勢に無勢だった。
よって興礼門も新しく復元されたものである。



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先日、3年振りに開催された世界報道写真展2024に行ってきた。
展示会場がかつて朝刊も夕刊も印刷していた印刷工場跡ということもあって、正直なところ工場跡の関心の方が先だった。



































紹介させていただいた写真についてはぜひ展示会場に足を運んで自分の目で見つめ、その説明をきちんと読んでいただきたい。
少なくとも私は普段から新聞にきちんと読むどころか目を通してもいないことがよく分かった。


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アメリカも日本もいわゆるポストシーズンが終わって1ヶ月以上経った。いつしか、メジャーリーグでのストーブリーグの記事を見てしまうようになってしまったが、ついドジャースを中心にしたものに目が行ってしまう。
しかし、今年のポストシーズンもいろんな選手が活躍した。ざっと振り返るだけも本当に熱かったポストシーズンだったと思う。


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韓服の若い娘らが日本語で
おしゃべりする声が響いていた


着替えを終えて店を
出てきたばかりのようだ


たしか午前10時くらいだったが
韓服を着た女性が一気に現れた
ように感じた。イベントか何か
あるのか?とすら思ってしまった。


韓服の男性もいる


韓服は幅広い年齢層で
人気があるようだ。

正面の門から景福宮に
入れるかどうか行ってみた


左に北岳山が写る

景福宮と風水地理の関係で北岳山が重要な山であることは事前に知ってはいた。実際に目にすると実感が湧いた。

光化門(クァンファムン)

景福宮の正門の光化門。私が行ったときには周辺が工事中だった。上の画像は工事用フェンスの上から撮ったものだ。この画像撮影時から1年以上経ったことだし、今では工事が終わっている可能性は高い。



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