山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

仙台散歩①宮沢橋貸しボート復活

2009年08月02日 | ドライブ
今日は、広瀬川周辺を歩いてみることにしました。(撮影日:8/2)



「郡山堰」の水量はいつもより多く、大きめの流木が引っかかっていました。

鮎と思しき小魚が数匹、水量増しの堰の前で飛び跳ねていました。



かつて昔、宮沢橋の下にボート乗り場があったそうです。

「仙台のデートスポットと言えば、宮沢橋の下でボートに乗るのがお決まりだったのよ。知らないかい?」
最近広瀬川関係のかたに言われて、おぼろげにではありますが、記憶にあるような、ないような気がして…
その、ボート乗り場が復活しますと最近のニュースで報道されていましたが…

まさか、今日が復活の日だったのです!



本日だけは無料でボートに乗れます、と言われ番号札を頂き、ボートが空くまで、少し待つことにしました。
82番でした。
そろそろ、終了の時間なのだとか…

ぼんやり川面を見ていると、不思議な気がします。
この場所は冬の間、白鳥やガンなどの飛来地となります。

微妙な浅瀬もある場所です。
乗り上げてしまい、シドロモドロになっている家族もいました。


この宮沢橋にまつわる、渡し船の歴史を調べてみました(wikipediaより)

江戸時代初め、仙台城が建設されて間もない頃、新たに整備された奥州街道は宮沢渡しの地点で広瀬川を渡っていた。
後に橋がかけられたらしく、寛永14年(1637年)に舟町の橋が流されたことが知られる。
しかしその頃から城下町が河原町まで拡張され、そこに長町橋(現在の広瀬橋)が架けられると、宮沢橋のほうでは橋も渡し場も廃止された。

江戸時代の宝暦のころ(1751年 - 1763年)に再び渡し場が設けられたが、文政のころ(1818年 - 1829年)に廃止された。
文久2年(1862年)に林藤助が近くの宗禅寺の援助でこの渡しを再開した。
明治4年(1871年)に中断したが、2年後の明治6年(1873年)に再開した。
渡し賃は江戸時代に3文、明治時代に3厘であった。



渡し船は橋の代わりの役目をなし、橋ができてからは、渡し船の代わりにボートが恋のかけ橋を担っていたのかもしれませんね。

順番を呼ばれて、ボートに乗ると、ボートは、スイー、スイーと風を切って進むます。
川の真ん中あたりから見る広瀬川の景色も、なかなか面白いです。



崇禅寺緑地に限りなく近づいてみました。
川岸から見ると、ここは鳥たちの住処のようです。
上陸できるのか、以前から気になっていました。

その先は愛宕堰となります。

「皆さん、戻ってきてください~♪」
マイクで呼ばれたので、楽しい楽しいボートの時間はこれでおしまいです。



最後は自分でも漕ぎたくなりました。
意外と簡単で、凄く楽しいですね。


場所:宮沢橋下
定休日:水曜日
料金:45分利用 500円