8月2日、広瀬川のボート乗り場が復活したその日、広瀬川周辺を散歩してみることにしました。
以前、ブログにて紹介いたしましたが、今日は続きです。
愛宕堰から石垣町を経て、白い鯛焼きを食べながら、愛宕神社へと向かいます。
愛宕神社の鳥居をくぐると、長い長い階段が続きます。
やっとたどり着いたころには、息がハーハーでした。
裏門から坂道を登りきったところに、無料の小さい駐車場があります。
車で来たほうが楽ちんです。
江戸時代の頃、愛宕神社は普賢菩薩を本尊として合わせまつっていたそうです。
八大菩薩を十二支に割り当ててその年の生まれの人を守護するという守本尊の信仰により、普賢菩薩が辰年と巳年生まれの人を守護することになっていることから、神仏分離で普賢菩薩が除かれてから現代に至っても、愛宕神社は巳年生まれの人からの篤い信仰を集めているようです。
愛宕神社は戦国時代には伊達氏の本拠だった米沢にあったが、米沢でいつ建てられたかは不明。
伊達政宗の転封に従って岩出山に移転し、慶長5年(1600年)に政宗が本拠を仙台に移すことを決めると、愛宕神社も移転することになる。
伊達氏に従って転々としたのは愛宕神社ばかりでなく、多くの寺社と町が移転して仙台城下町に土地を割り当てられたそうです。(wikipediaより)
私の記憶に新しいのが、竹駒神社も同じ変遷を辿り、どんと祭りで仙台を代表する神社として今に至ります。
樹齢350年のエドヒガンから眼下には、広瀬川の清流がゆるりと流れています。
仙台駅前の高層ビル群を眺めながら、さわやかな風に吹かれると、先ほどまでの汗が、心地よい涼しさにかわります。
愛宕神社ご神木の「夫婦杉」は樹齢350年。
境内には、勝鬨神社や稲荷神社が祀られています。
境内を裏手にまわると、大満寺へと続きます。
次回へ続く>>
以前、ブログにて紹介いたしましたが、今日は続きです。
愛宕堰から石垣町を経て、白い鯛焼きを食べながら、愛宕神社へと向かいます。
愛宕神社の鳥居をくぐると、長い長い階段が続きます。
やっとたどり着いたころには、息がハーハーでした。
裏門から坂道を登りきったところに、無料の小さい駐車場があります。
車で来たほうが楽ちんです。
江戸時代の頃、愛宕神社は普賢菩薩を本尊として合わせまつっていたそうです。
八大菩薩を十二支に割り当ててその年の生まれの人を守護するという守本尊の信仰により、普賢菩薩が辰年と巳年生まれの人を守護することになっていることから、神仏分離で普賢菩薩が除かれてから現代に至っても、愛宕神社は巳年生まれの人からの篤い信仰を集めているようです。
愛宕神社は戦国時代には伊達氏の本拠だった米沢にあったが、米沢でいつ建てられたかは不明。
伊達政宗の転封に従って岩出山に移転し、慶長5年(1600年)に政宗が本拠を仙台に移すことを決めると、愛宕神社も移転することになる。
伊達氏に従って転々としたのは愛宕神社ばかりでなく、多くの寺社と町が移転して仙台城下町に土地を割り当てられたそうです。(wikipediaより)
私の記憶に新しいのが、竹駒神社も同じ変遷を辿り、どんと祭りで仙台を代表する神社として今に至ります。
樹齢350年のエドヒガンから眼下には、広瀬川の清流がゆるりと流れています。
仙台駅前の高層ビル群を眺めながら、さわやかな風に吹かれると、先ほどまでの汗が、心地よい涼しさにかわります。
愛宕神社ご神木の「夫婦杉」は樹齢350年。
境内には、勝鬨神社や稲荷神社が祀られています。
境内を裏手にまわると、大満寺へと続きます。
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