あの、東日本大震災から今日で3か月が経ちました。
近所では、あの日の時間と同じ時間に、プーと長いクラクションが鳴りました。
私は、家でお線香を焚きました。
一瞬の震災で尊い命がたくさん亡くなったあの日・・・一日も早いご冥福をお祈り申し上げます。
私はあの日から、自分の住まいからあえて東の方角へは行っていませんでしたが、最近仕事のため被災地に行きました。
目に映る景色は悲惨すぎて、例える言葉も思いつきません。
そんな風景を見ながら、思い出すことがありました。
かつて大きな水害にあったということを後世に残すためながら草がおい茂り、人の立ち入らなくなった東六郷の石碑のある丘、
かつてここまで海岸線があったと思われる生活の様子が発掘された、仙台東有料道路の傍の田圃・・・
それは過去から発信される、大事な情報源だったのではないでしょうか。
だけど現代は、それをあくまでも過去のものとして葬り、それを遺産として大事に取り扱わなかったと今になって思えます。
あの311、突然電気が消えました。
皆は蝋燭の灯りのなかで過ごし、オーバーを着たままでしたがベットで横たえる場所があった私は、十分恵まれすぎていました。
あれから、生死はいつも紙一重であることを身近に感じるようになりました。
後悔はないと思っていた自分の人生でしたが、震災後に少しづつ大きな疑問を抱えるようになりました。
4月、5月、6月と短期間のスパンで新宿で過ごし、いろいろ考えました。
大京町のウィークリーマンションで、新宿御苑の風を感じながら・・・
10年前のあの時の自分の言葉や思いつきが間違っていたとよくわかりました。
自分のエゴ。他者理解、感謝の心が、その時足りていませんでした。
その結果、自分を見失ってしまいました。
どこか心の深いところに疑問を感じながら、過ごしていたわけです。
「気づくこと」がこれから生きるためのエネルギーになる、そんなふうに私は思います。