人には人生のなかで何度か、チャンスをつかめるタイミングが必ずあると感じています。
定年退職して新しい自分の世界にチャレンジし、活き活きと暮らしている幸せな方々も多くいらっしゃいます。
けれどそれは、何らかの土壌があるからこそだと私は思っています。
種がそこにあったから土壌に花が咲き実になると、そういう考え方です。
若いときは自分のことも良く解らなくて、感情だけが先に立ち、退屈で、なにか虚しさを感じてきた私でしたが、年を重ねるごとに何か少しづつ考え方が変わってきました。
幸せとは、他人と分かちあうことだと。
そういう考えがベースにあって、brogを通じて皆さんと繋がっていたり、仕事では私なりの仕事理念(お客様の立場に寄り添って行動すれば、必ず数字がついてくる)など、上からや下からも圧されることなく、楽しんで仕事に向かっています。
そう述べると一見幸せそうですが・・・
最近相方が本気で事業を始めて、私自身とても嬉しくて、できるだけの支えを行っているのですが、なにかが空しいんですよね。
寂しいというのでしょうか、一人の時間が長くなって、空虚に感じています。
ヒトは死を受け容れる立場を強制されていない健康良好な状況でも、寂しいとか空しいって感じるのは何故なのでしょうかね?(日常的には要らない感情ではないですか?)
自分一人で3度のご飯を食べ、会話もなくて、充足感が満たされないところから来る感情なのでしょうか?(ヒトは集団で生きようとする本能?)
ああ、そんなことを思いながら、私自身の心の脆さとそれに相反する完璧主義さを感じながら、越えていかなくては!と思うのでした。
3ヶ月前の12月の健康診断はまったくの「良好」だったのに、3月の人間ドックではいろいろあって・・・ストレスがあっただけで、自己破壊に進んでいくものなのかと実感しました。
明日からは、明るい話題で綴っていきますね!