その日はレンタサイクルで、京都寺院めぐりと西国三十三観音巡礼です。
初めての西国三十三観音巡礼となったのは第15番札所「今熊野観音寺」さん。
橋を渡ったところにレンタサイクルをとめました。
先ほど立ち寄った「東福寺」さんとは全く別な空気感が漂っていました。
四国88か所巡礼とは違うものの、巡礼霊場の雰囲気です。(入山料金なし)
御詠歌 昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり
真言宗泉涌寺派で開基は弘法大師、ご本尊は十一面観世音菩薩。
子育て弘法大師の背後には紅葉が輝いていました。
今熊野観音寺の由縁は次の通りです。(HPより)
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。
不思議に思われてその方へ慕い行かれると、その山中に白髪の一老翁が姿を現わされ、「この山に一寸八分の観世音がましますが、これは天照大神の御作で、衆生済度のためにこの地に来現されたのである。ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」と語りかけられ、またそのときに一寸八分の十一面観世音菩薩像と、一夥の宝印を大師に与えられました。この時に老翁が立ち去ろうとされたので何びとかをたずねると、「自分は熊野の権現で、永くこの地の守護神になるであろう。」と告げられて姿を消されました。
大師は熊野権現のお告げのままに一堂を建立され、みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじまりです。弘法大師御作のこの観世音菩薩像は秘仏として大切にまつられ、一千二百年の長きにわたって衆生を利益し続けておられます。
お蝋燭とお線香を手向け、ご本堂にて般若心経を読経しました。
その後も西国巡礼で感じたことなんですが、四国の88か所とは違い、巡礼でお寺に来た方もそうでない方もお参りされているので、読経するもなるべく声を静かに、数分間そのに立っていることで邪魔にならないように気を遣う必要があると感じました。
納経帳に御朱印を頂いて、ホッとしました。
初めての西国巡礼の1歩が、この今熊野観音寺でよかったと、喜びが静かにわいてきました。
あらためてゆっくり境内を回ってみました。
青竹と赤い紅葉の対比の美しさに感動しました。
「五智水」は蛇口をひねると出てきました。
観世音をまつるのにふさわしい霊地を選ぶために、弘法大師が錫杖をもって岩根をうがたれると霊泉が湧き出し、大師はこの清涼なる清水を観音御利生の水として崇められと名付けられたそうです。
稲荷社、熊野権現社。
本堂から医聖堂。
医聖堂は本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔で、 医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立。
この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されているそうです。
平成28年に丹塗りの塗り替えが施され、33年ぶりに鮮やかな朱色が蘇ったそうです。
自転車でたどり着くまで、途中坂が続いて大変でしたが、そんな疲れもこの美しい紅葉で癒されます。
今熊野観音寺は「頭の観音様」とも言われ、頭痛封じ・智慧授かり・学業成就などの頭の観音さまとしてはもとより、厄除開運・健康長寿・中風封じ・ぼけ封じの観音さまとして信仰を集めています。
頭痛封じに、枕宝布(枕カバー)の参与品などがありました。
合掌
■西国33観音巡礼 第15番今熊野観音寺
住所 京都市東山区泉涌寺山内町32