グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

詩とファンタジー No.24

2013-10-29 08:24:45 | 

詩とファンタジー No.24 秋栞号
投稿詩とイラストレーション
責任編集:やなせたかし
特集:佐藤春夫の殉情
かまくら春秋社

90歳を過ぎても現役バリバリのやなせたかしさん、そろそろ秋号が出るころだと思っていた矢先の訃報、亡くなられるのはもっと先のことのような気がしていました。

余命何日? 私の、あなたの。

今号が最後の責任編集。
毎回、編集前詩を含めて3編ほどやなせさんの詩が掲載されいましたが、今回のはどれもご自身の死を予感されてのものでした。

チャーリー
   やなせたかし
チャーリーの
古い昔の
コマ落としのリズムで
ぼくの人生喜劇
シリーズ
ついに全巻の終り
これからはじまる
チャーリーみたいな
自作・自演の
おわかれコンサート
無料サービス
死ぬほど面白がらせて
みせるから


天命  詩と絵・やなせたかし



断章
   佐藤春夫
さまよひくれば秋ぐさの
一つのこりて咲きにけり、
おもかげ見えてなつかしく
手折ればくるし、花ちりぬ。


秋刀魚の歌 佐藤春夫 絵・佐々木悟郎

佐藤春夫と恩師谷崎潤一郎とその妻千代の関係を知ることで理解できる詩。


面白い投稿詩を一つ。
ウオノメノ
   下野栄子
このところワタシを悩ます ソノ
日頃ヒノメを見ない足裏の
小さな二、三の
取り去っても また 現れ
わずかな部分で
ワタシにアノ痛さを感じさせる・・・
・・・考えてみれば
偉大な そのメの奥のソレ

ワタシの中から生まれ
ワタシのメに触れることを促し
ヒトのメには
とても触れさせられないような格好を
くり返し とらせるのだ・・・
・・・考えてみれば
屈強な そのメの奥のソレ

さてさて メにもの見せようか
いやいや メにもの言わそうか

大地とつながる足裏の闇で
どうする?
ウオノメノメがギラリ 光る


男一匹 竪山和成 絵・信濃八太郎


栗ご飯
    山本洋子
今日は、栗ご飯
「これは、利平だよ」
兄が持ってきてくれた
クリを剥き始めると、思いはあの頃へ

こうやって、台所の机に座り
父が、横で茹でた栗を、剥いてくれた
「家では、栗がたくさん採れるのに
なんで、家は虫食いばかりなの」と
私は、父に文句を言っていた

父は、困ったように
「世話になった人に、もっていかなあかんし」
と、小さな声で言っていた
そんなことを言いながら、
父は、上手に虫食いの所を取って、剥いてくれていた
自分は、ちっとも食べないで

そんな昔を思い出しながら
戻れるものならもどりたい、と思った
机の前に座り、横に父がいて
今度は、私が父に剥いてあげる

もう一度、もどりたい
そう思って剥いていると
涙で、栗がかすんでしまった

想像ラジオ

2013-09-24 09:56:28 | 

想像ラジオ
いとうせいこう
河出書房新社

かの大震災で被災された方の気持ちを想うことはあっても、亡くなられた側の気持ちを考えたことはあったか…
そんなことを気づかせてくれた本書は一人称の口語体、しかも比較的軽いタッチなので一気読みしやすいが、実は悲しみの重い内容で、読後にはなんとも切ない気持ちが後を引く。

ボランティア活動についての議論も興味深い。
利用してはいまいかという気持ちに、何も考えないでただ行動するという答えを得る。

初めて知った言葉…魂魄(こんぱく)
・古代中国における霊の概念。
・魂は人の精神を司る気、魄は人の肉体を司る気。
・死者のたましい、霊魂。


想像力の豊かさが人を繋げ、欠如が諍いを呼ぶ。

詩とファンタジー№23

2013-08-22 17:10:14 | 
朝夕の風が冷たくなって、タンクトップ一枚で過ごした日々もそろそろお終い、外では虫たちの盛んな鳴き声。

詩とファンタジー№23 夏漣号
投稿詩とイラストレーション
責任編集:やなせたかし
かまくら春秋社
特集:潮騒が聴こえる 堀口大學の海の詩

堀口大學(1892~1981)とはペンネームかと思いきや、父親が大學時代に結婚し生まれた長男に付けた本名。
光景が、ぱ~っと思い浮かぶ詩ばかりでした。
「パステル」

えめらるどの上にこばると
海の上に青空

沖に白き舟の帆
渚に銀の波くずれ

渚にわれ等あゆむ
君が髪に金の夕日もえ

波をけてわれ等喜戯(きぎ)す
君が象牙の素足

えめらるどの上にこばると
海の上に青空


亡くなる前年八十八歳の作品。
「反比例人生」

お酒が僕の離乳食
ポエジーが教育勅語
病気が僕の長命丸



今号は沢山心に響く作品があって、迷いに迷って2編をアップ。
「スイカのたね」
     杉山磨哉
ぼくの足には一粒の
スイカのたねがついている
あぐらをかくとよく見える
左の足のふくらはぎ

五歳くらいの遠い夏
母の実家へ行った時
冷えたスイカを食べました
そしたら伯母が言いました

「スイカのたねがついてるよ。
 あら、ほくろなの。まちがえた」
他の大人も大笑い
子供心に傷ついた

小中高と学校で
ぼくは年中長ズボン
スイカのたねをかくすため
笑われるのは恥ずかしい

大人になって気が付いた
他人は余り見ていない
気にしすぎてた バカみたい
悪いことなど何もない

他人と自分 違うもの
当たり前でしょ それでいい
世界でたった一粒の
ぼくのスイカのたねだもの

リズム感もいいでしょ~。


「しょっぱい心はしょっぱい海に」
       木崎よしお
心を取り出し洗うなら
海がいいかと思うのです
波おだやかな日を選び
浅瀬に心を放ちましょう

しょっぱい心はしょっぱい海に
帰って行くのがいいのです
まちの水では洗えない
かなしいこともあるのです

心を休ませたいのなら
海がいいかと思うのです
海という字を見てごらん
そこには母がいるでしょう

しょっぱい心はしょっぱい海に
抱(いだ)かれるのがいいのです
まちの水ではうるおせない
そんな渇きもあるのです

心を取り出して洗うなら
海がいいかと思うのです
さざ波ならば撫でるよう
痛むことなどないでしょう

しょっぱい心はしょっぱい海に
涙を注いでいいのです
まちの水ではよそよそしい
涙の味がしないのです

やさしいですね。

「鬼とオレンジ」 山口理々子 絵・黒井健


「レディ・バード」 磯純子 絵・宮林忠生

詩とファンタジー№22

2013-06-30 08:23:01 | 

詩とファンタジー№22 春歌号
投稿詩とイラストレーション
責任編集:やなせたかし
かまくら春秋社
特集:没後30年寺山修司抒情詩集編

春号のアップ、これも遅くなってしまった。。。
今号は心に響くものが無くて、感性がどうかしちゃったのかな。。。
それとも寺山修司の特集を最初に読んでしまったせいか。。。

五編掲載中、「さよならの城」は以前アップしているので「五月の詩」を。
イラストは全編、名コンビ(私の中では)の宇野亜喜良氏。

五月の詩

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない 僕の青春よ
さようなら

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

さよならの城

ベニシアの言葉の宝箱

2013-03-19 00:10:55 | 

ベニシアの言葉の宝箱
ベニシア・スタンリー・スミス
写真:梶山正
世界文化社

BSで遅い時間に「猫のしっぽカエルの手」という番組を何度か見て、ベニシアさん自身が綴った散文詩調英文の朗読が心地良くてマークし始めた途端、最終回…ウッソ~!

で、この本を入手。
番組の風変わりなタイトルの謎も読んで解けました。
右ページが英語の原文、左ページがその和訳。
所々に入っている京都大原の自然や暮らしぶりの写真がすてき。
そして、もっと良いことにベニシアさん朗読のDVD付き!

イギリスの貴族社会を飛び出し、21歳の時日本に辿り着いて、やがて英会話学校を設立、大原の古民家でハーブに親しみ、自然との共生を大事にしているベニシアさん62歳。

疲れているとき心が騒ぐときに読みたい本。

ちょっと抜粋。
安らかな心は、全てのものに美しさを見出します。

知恵と優しさと笑いの心を持って、人生を受け入れましょう。

未来は、地球からの贈り物を大事にする人の手の中にあるのです。

竹の持つ張りのある柔軟性は、変化する風の中でもしっかり生きていけることを教えてくれます。

ミケランジェロの言葉が ときどき心の中で響きます。「私は今もなお学んでいる」

せめて時々は考えることを止めて、思い出しましょう。人生は舞台稽古ではなく、美しく生きる機会なのだと。
「美は見る人の目の中にある」という諺はまさに言い得て妙です。

言葉は癒しにも凶器にもなります。
優しい言葉は鉄の扉も開きます(ブルガリアの諺)

女子会川柳

2013-03-05 10:20:16 | 

女子会川柳
ポプラ社
サンケイリビング新聞社・シティリビング編集部主催公募「シティOL川柳大賞」より珠玉の八十八句。

女子会とは何歳まで?
自分のことを女子とは言えないのに、女子に戻れる集まりの時には浮き足立って女子会を名乗る(フフ)
この本を見つけたときには波長が合うかなと思ったけれど、全部納得、とってもよく分かる。
本物の女子も似非女子も、感じていることはそう違わないのだ。

ほら、表紙の言葉も、なるほどでしょ。

今日の気分は(本書より)
逆らわず ただうなずいて 従わず

気が付けば 家の中一人 ゲラゲラと

詩とファンタジー№21

2013-02-16 10:39:58 | 

詩とファンタジー№21 冬愛号
投稿詩とイラストレーション
責任編集:やなせたかし
かまくら春秋社
特集:やなせたかしと5人の詩人(萩原朔太郎、三好達治、中原中也、宮沢賢治、立原道造)

幸い創刊号から欠けることなく出会って、21冊目の季刊誌。
今号も被災地からの応募作品が掲載されていて、一編だけ紹介します。

あたたかな
   千田夏海
台所は皿の海
白や透明 いろいろな破片が
粉々になって 床を埋める

棚に置かれていたもの
全て床にはき出され
冷蔵庫は 機能せず

残った食べ物 菓子パン数個
妹にあげて 私は一口
とてもおなかがすいていた

歩けばいける祖母の家
三月なのに風は容赦なかった

「寒かったね、おなかすいたでしょ」
反射式ストーブの上に置かれる薬缶
祖母が出してくれたのは
湯気に包まれたどんぶり

どんぶりの中身は
うどんでした

あったかい あったかい

なんだか笑みがこぼれた

あれ、うどんってこんなにおいしいっけ

明日は何もかも、頑張れそうだよ

食べ物の力は凄い。
あったかいうどんを食べたとき、こぼれたのが笑みで、良かった。

面白いのを2編ばかり。
写真
   小谷健
実家の冷蔵庫に
僕の写真が貼ってあった

七五三の時の僕が
ニコニコ笑って立っていた

裕ちゃんがそれを
まじまじと見ているので

誰これ
と聞いたら
少し考えてから

ぼく

と言った


ボロネーゼ
   サトウアツコ
ココロは 目に見えないぶん
みじんぎりにされても
滅びたりなんかしないわ!
ミートゥと ミンチにされたミートも
文句言わずに ジュージュー油とダンス
酸味あるトマトが
みんなの悲しみ蒸発させながら
優しさ手に入れ 甘くなり…
ココロとカラダのバランス調整中★

ボロを言っても みじめになるだけ…
ボロは言わない ボロネーゼ!

ココロこげちゃって 闇に支配される前に
フライパンのなかにて まわれ右
ポジティブシンキング、グッドな人生よ!
ねぇ、知ってる?
ボロボロになるのは
いためつけたひとのココロなんだよ?


ドキンとした絵。
西田知未 冬の訪れ


言羣心在(ことむらことあ)さんの詩もビビビッと。では好きなくだりをちょっとだけ(ケチですね…フフ)

どうやら音も凍りついてしまった様だ
ウグイスの鳴き声を聴いたのがもう
何百年も昔のことのような気がして

さようなら
あなたは僕にとっての春でした

ひらりひらり しんしんと舞う雪片に
桜の花弁の面影を見
僕は冬を受け入れた

舟を編む

2013-02-05 10:26:28 | 

舟を編む
三浦しをん
光文社

何十年にもわたり辞書出版に人生を掛けた人達の物語り。
地味で固そうで読もうかどうしようか迷った本でした(フフ)

辞書編集に携わった人達の存在など考えたこともなかったけれど、軽く想像しただけでも気の遠くなりそうな作業…
大海原へ漕ぎ出す舟が勇気をたたえた辞書であり得るために情熱を傾けた人達。

最近は直ぐにPC検索できるので、とんと手にすることが無くなってしまった国語辞典の編集者一覧ページはどうなっていたのだろう。
そして、紙質は?

今でも時々お世話になっているのは音楽事典。

開いたことのなかった最初のほうを見てみると、あらま沢山のお名前、編集顧問、執筆者、編集者が100名以上も!
辞書編集部の光景が蘇り、今さらながら結構感激!
大事にしなきゃ。


とうとう出版に漕ぎ着けた辞書「大渡海」の装丁のくだりが想像に容易いと思ったら、この「舟を編む」に使われていた…小粋。

時代と共に消えゆく言葉と生み出される言葉、意味合いも変化していく。
言葉は生き物だから、出版出来たことを着地点にすることなく、直ぐに改訂版へと向かう姿勢が素晴らしい。

詩とファンタジー№20

2012-10-31 10:28:04 | 

詩とファンタジー№20秋雅号 20号記念号
投稿詩とイラストレーション
責任編集:やなせたかし
かまくら春秋社

記念号特集:沖縄の詩と芸術
巻頭特集:たゆたう詩人 山之口獏

今号も被災地からの応募作品がたくさん掲載されています。

あの空の下
    大空美南
あの大空の下で
もう一度 思いっきり深呼吸がしたい

あの森の中を
もう一度 次の日も疲れが残るくらい、駆けまわりたい

あの山の前で
もう一度 焦るように 紅葉をみつけたい

あの風の中で
季節の移ろいを 匂いで味わいたい

あの川の中で
飲み水になっていく澄んだ水に触れたい

あの陽差しの下で
深い雪と凍てつく寒さを耐えた春の喜びを味わいたい

あの小さな街で
知っている顔に会って 慌てるように いつもの挨拶がしたい

あの田畑の脇道を
何もかも忘れたように 駆け抜けたい

あの人に会って
新米と獲れたての野菜や果物の自慢を聞きたい

こんなときになって
「何もないところ」っていう言葉が、誉め言葉たと知った

もう一度 あの「ひととき」を取り戻したい


今を生きる
   サトウエリ
たったそれだけのお金で
なかったものにしてと言われても
私は納得できるでしょうか
これからの先行きが不安で
生き甲斐を失ったあの方は
自宅にほんのひととき戻れたとき
自らの手で
自らの命を絶ったのです
そのような方が
一人、二人、また一人と
ニュースで報じられるたびに
私の胸は苦しくなり、呼吸がどうしようもなくなるのです
その後すぐに
バラエティ番組がいつものように東京から流れる
私はその瞬間
叫びたくなった
本当に見つめているのでしょうか
本当に終わったのでしょうか
私たちは今も生きている


喉元過ぎればにならないように。
少なくとも苦しみや悲しみに拍車をかけることの無いように。


手紙
   福田ゆかり
お元気ですか と手紙を送ると
三年後に 元気です とだけ返事が来た

三年間は元気じゃなかったのか と
また手紙をかこうかと思ったが

あの人が貼った八十円切手の
コスモスがとてもきれいだったので

あと五年後くらいでもいいか と
手にとった万年筆をひきだしにしまった

絵・網中いづる



お風呂屋さん
  レイコ
電信柱の傘電球が灯る頃
溝から しろい 湯気がたちのぼり
どぶと石鹸の匂いがながれてくる

むかーし 自分に約束したんだ
(死にたくなったら お風呂屋さんに行こうって)

湯船につかったら
ぼんやり ぼんやり
考えたって仕方のないことなんて
もう 何も考えない

もやもやも イライラも
ぜーんぶ洗い流して
ピカピカになって 生まれ変わって
もったいない もったいない まだまだいけるよ
って つぶやいて

お風呂屋さんは やっぱりいいなぁ

脱衣所で サイダー飲み干したら
「てゃんでぃ 負けるもんか!」と 自分にはっぱをかけて
帰り道 煙突の上のお月さんに ウィンクするんだ

絵・稲嶺成祚



てゃんでぃ、温泉に行きたくなったぜ!!

106歳を越えて、私がいま伝えたいこと

2012-10-16 20:46:36 | 

「106歳を越えて、私がいま伝えたいこと」
地(しょうち)三郎:著
こう書房

100歳を越えるご長寿も珍しくなくなってきた昨今ですが、99歳から世界一周講演旅行を8回も行っているスーパーご長寿の著書。

「九九歳までは助走、100歳からが本番」
50代、60代になって「ああ、自分の人生も終盤にさしかかってきたな」と考えている人がいたら、それはとんでもない間違いです。
何もこれは元気のない50代、60代の人に向かって、慰めや励ましで言っているのではありません。私がいきてきたたしかな実感として、50代、60代などほんの助走に過ぎないのです。

「どんなときでも人生に楽しみを見つける」
人生は自分自身との戦いですが、それは「人生の苦しみと戦う」という意味にとどまらず、「その苦しみのなかからでも楽しみを見つける」という、もう一つ高いレベルの戦いをも含んでいるのです。

「自由とは独立するということ」
待っているのではなく、自分の力でなんとかしてみる。そのための一歩を自分から踏み出してみる。家族や組織、社会やコミュニティに頼るのではなく、まずは自分を頼る。


脳性小児麻痺を患った二人の子供と、後にパーキンソン病で不自由になった配偶者への介護が合わせて60年続いた著者の言葉には、40代の本田健が著した「50代にしておきたい17のこと」(だいわ文庫)とは、当たり前だけど視点も説得力もかなり違う。


また新しいことを始めたい虫がウズウズ

楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

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