1981年
・開幕を直前に控えたドラゴンズ首脳陣の中に「外国人選手・不要論」が挙がっている。その大きな理由は4年目を迎える
、石井昭男外野手の存在だ。入団時は全くの無名。東海大からドラフト3位で中日入り。176センチと小柄だが、実力は「知る人ぞ知る」で、巨人の黄金ルーキー原辰徳をして「石井さんがプロで通用しなかったらボクはとても・・・」といわせた猛者。東海大時代は原の教育係をしたシッカリ者だ。小兵だがパンチ力抜群。スイングの速さは石井の長所である。これまで期待されながらキャンプ終盤のケガに泣き、もっぱら代打要員。だが今季はカケるものがある。「女房をもらったしね。それに後輩の原が入ってきた。かれには負けられません」新・打撃コーチ、黒江が田野倉とともに一番しぼった男だ。秋季練習、自主トレ、キャンプで一日500本は必ずバットを振らされた。中日の外野は田尾と新外人・スパイクス、藤波など強敵がひしめいている。実績面で落ちる石井には狭き門だ。「だからオープン戦が必死。首脳陣にアピールするチャンスです」石井は燃えに燃えるが、黒江コーチの眼は「先発メンバーに加えたい器」と見抜いている。