大毎には東北地方出身の選手が割合多い。たいして名のない選手を東北地方から見つけてきて
うまく育てるのを得意としているようでもある。
三平晴樹投手は秋田商高出身、県は小野投手や柳田内野手と違うが同じ東北人だ。
プロ野球の投手になった経路も小野と似ているし、左打ち左投げで、小野と同じだからなにか
と小野に比較される。三平も高校時代は無名といってよかった。
大毎に入ったのは昭和三十三年。三十二年に秋田商を出て一年間、日鉱日立にいた。
「秋田商時代はカーブなんてろくに投げられず、直球一本ヤリといってよかった。
日鉱に入って砂岡さん(現国鉄コーチ)に教えられた」と本人はいう。大毎に入る動機は
三十二年の秋、産業別野球大会で1試合に三振を十五とったのが認められたからだ。
「スピードは前からある方だった」といっているが、たとえ相手の打力がよくなくとも、
一試合十五の三振を奪ったことはスピード豊かだったことを証明する。素質はもともと良かったのだ。
「やや横から投げて右打者のひざ元に食い込む直球は小野より速いだろう」と野口コーチはいっている
ほどで三平の投手としての生命は根幹はスピード・ボールだ。
入団第1年は5勝7敗。勝利投手の記録はみな近鉄からもらったものだ。去年はシーズンの前半に
ひじを痛め7勝2敗の成績だ。
シュート・ボールの練習中むりをしたものらしい。「シュートも投げられるようになったし、
カーブやシンカー、フォーク・ボールなどたいていのものは投げられる」といっている。
従来の欠点は、踏み出し足を突っ張るためのウエイトが乗らず、そのためスピードはあるように
見えても時には伸びを失って打たれた。「今年は身体全体を使って投げている。まだよくなっている」
と野口コーチはいっている。去る四月一七日後楽園での対南海三回戦に七安打を打たれ三点をとられた
ものの、完投して勝利投手になったが、そのことによってよほど自信をつけたようである。
おとなしそうだが、あんがい激しい気性のようで、特には冷静さを失って打ち込まれたこともある。
26試合に登板して7勝6敗、南海に二つ、西鉄と近鉄に一つずつ完投勝利。防御率2.86、
身長1㍍75、体重69㌔、二十二歳。
三平投手の話
もっともっとコントロールをつけなくてはいけないと思う。ヤマをはっている打者には、
そうとわかっていながら、ついそこを投げて打たれる。いけないと思っているところへ
投げてしまうなんて、精神的ゆとりがないこととコントロールが未熟な証拠だ。苦手の
打者はいないが、南海の穴吹さん、東映の張本君によく打たれた。