1961年
国鉄、東映の両球団との二重契約の疑いのあった日通野球部の渋谷(しぶたに)誠司投手(22才=青森弘前商高出)について八日午後二時、国鉄スワローズでは千代田区有楽町の交通協力会ビル二階講堂で同投手ならびに実兄庄司氏立ち会いのもとに正式入団の発表を行った。国鉄側では七日コミッショナーの認証をうけるため提出した渋谷投手との契約書が、東映がそれより早く四日に提出した認証届より優先するとの判断を下して、急ぎこの日記者団に入団の発表を行ったものである。そして国鉄の北原代表は、同夜文京区小石川の椿山荘に大川東映社長をたずねて会談した結果、東映側の了解をとった。したがってあわや大問題にまで発展するかに思えた渋谷投手のプロ入りは、急転直下、東映から国鉄入団へと円満解決したわけである。
二重契約うんぬんのいきさつはこうだ。東映の宮沢スカウトが渋谷投手の実兄庄司氏からとった契約書は十一月二十六日のこと。宮沢スカウトは「入団の契約書」といっているが庄司氏はまだ日通野球部の休止決定前のことなので「来年八月に東映と優先交渉に入る誓約書」と東映が四日にコミッショナーに提出した書類をいっている。この辺の食い違いがおかしいが、どちらにしてもコミッショナーが東映側提出書類を受け付けているのは「統一契約書ならびにこれに準じた契約書」であるから認証したので、渋谷側のいう単なる誓約書だったらその場で却下されたはずだ。ただその時、東映側では後日正式な統一契約書四通を改めて提出することを条件としているし(認証を急ぎつけるためとりあえず一通の契約書しか出していない)その契約書の誠司投手の署名、なつ印は実兄の庄司氏が代行している。コミッショナーでは「対面契約は必ず本人の自筆自判が必要、たとえ契約のときに顔を合わせていても、これがなければ協約上対面契約とは認めない」といっているから、これからいけば東映の書類の不備が大いに指摘されてくる。一方国鉄側は七日、本人の国鉄入りの決意に接し、さらに庄司氏をまじえた席で東映との契約について問いただした結果、東映がコミッショナーの認証をうけたという契約書類に大きな手ぬかりのあるのを知って、正式な統一契約書類四通に、渋谷投手の自筆自印を求め、これを同日直ちにコミッショナーあて提出、認証をうけたわけだ。二重契約問題は以上の点からきていた。しかし東映側が四日に認証をうけた契約書も生きている。実兄が代行したとはいえ本人のサインがあるのだからその形式に誤りがないからだ。だが「契約の発効はコミッショナーの認証でなく、連盟会長の支配下選手登録認証のときから発生する」規定からいくと東映は一通しか契約書をとっていない。正規のルールでいけばコミッショナーは提出され認証した四通の契約書のうち一通を保存し、一通を連盟会長に、またあとの二通を球団と本人に交付するのが建て前、ところが東映の契約書には連盟会長に渡る分がない、ということは選手登録ができないことになる。つまり認証と登録とは別で、認証は早くにうけたけれど登録はできないといった立場に東映がおかれたといえる。結局この問題も午後五時半、椿山荘で行われた大川ー北原会談ですべてが氷解し、円満に解決したわけだが、これに基づいて東映側では提出した契約書の取り下げることに決定した。しかしこんどの渋谷問題もさきの中日森のトレード問題と同じく形式だけでことを処していったやり方が道義的な問題をまっ殺していた点に批判されるべき素地があるようだ。
野球協約起草委員・赤嶺昌志氏の話 協約での対面契約とは、単に当事者が顔を合わせるだけでなく、その席で自分でサインとなつ印をすることが必要条件となっている。この一つが欠けても対面契約とは認められない。
渋谷誠司選手の略歴 青森県弘前商高出身、33年日通弘前支店に入社、軟式で活躍して認められ、34年末、浦和支店転勤とともに硬式へ復帰、妻島(大毎)の控えから頭角を現し、今夏の都市対抗では電電九州戦で10打者から7三振を奪う力投で脚光を浴びた。1㍍79、69㌔、左投左打、22才。
大川東映社長の話 北原君がたずねてきたのでいろいろ話し合ったが、円満に解決し、僕も納得した。お互いに同じ機構の内にいるのだから、このようにスムーズにことをはこぶのが当然だろう。
国鉄北原代表の話 問題が問題だけにすぐ大川さんと相談したところ、快く大川さんも了解してくれた。在京球団同士なので変なしこりがあっても困るのでお伺いしたわけだ。
渋谷投手の話 目標はありません。来年すぐといっても自信がありませんが、二、三年後は努力すればなんとなると思っています。
国鉄、東映の両球団との二重契約の疑いのあった日通野球部の渋谷(しぶたに)誠司投手(22才=青森弘前商高出)について八日午後二時、国鉄スワローズでは千代田区有楽町の交通協力会ビル二階講堂で同投手ならびに実兄庄司氏立ち会いのもとに正式入団の発表を行った。国鉄側では七日コミッショナーの認証をうけるため提出した渋谷投手との契約書が、東映がそれより早く四日に提出した認証届より優先するとの判断を下して、急ぎこの日記者団に入団の発表を行ったものである。そして国鉄の北原代表は、同夜文京区小石川の椿山荘に大川東映社長をたずねて会談した結果、東映側の了解をとった。したがってあわや大問題にまで発展するかに思えた渋谷投手のプロ入りは、急転直下、東映から国鉄入団へと円満解決したわけである。
二重契約うんぬんのいきさつはこうだ。東映の宮沢スカウトが渋谷投手の実兄庄司氏からとった契約書は十一月二十六日のこと。宮沢スカウトは「入団の契約書」といっているが庄司氏はまだ日通野球部の休止決定前のことなので「来年八月に東映と優先交渉に入る誓約書」と東映が四日にコミッショナーに提出した書類をいっている。この辺の食い違いがおかしいが、どちらにしてもコミッショナーが東映側提出書類を受け付けているのは「統一契約書ならびにこれに準じた契約書」であるから認証したので、渋谷側のいう単なる誓約書だったらその場で却下されたはずだ。ただその時、東映側では後日正式な統一契約書四通を改めて提出することを条件としているし(認証を急ぎつけるためとりあえず一通の契約書しか出していない)その契約書の誠司投手の署名、なつ印は実兄の庄司氏が代行している。コミッショナーでは「対面契約は必ず本人の自筆自判が必要、たとえ契約のときに顔を合わせていても、これがなければ協約上対面契約とは認めない」といっているから、これからいけば東映の書類の不備が大いに指摘されてくる。一方国鉄側は七日、本人の国鉄入りの決意に接し、さらに庄司氏をまじえた席で東映との契約について問いただした結果、東映がコミッショナーの認証をうけたという契約書類に大きな手ぬかりのあるのを知って、正式な統一契約書類四通に、渋谷投手の自筆自印を求め、これを同日直ちにコミッショナーあて提出、認証をうけたわけだ。二重契約問題は以上の点からきていた。しかし東映側が四日に認証をうけた契約書も生きている。実兄が代行したとはいえ本人のサインがあるのだからその形式に誤りがないからだ。だが「契約の発効はコミッショナーの認証でなく、連盟会長の支配下選手登録認証のときから発生する」規定からいくと東映は一通しか契約書をとっていない。正規のルールでいけばコミッショナーは提出され認証した四通の契約書のうち一通を保存し、一通を連盟会長に、またあとの二通を球団と本人に交付するのが建て前、ところが東映の契約書には連盟会長に渡る分がない、ということは選手登録ができないことになる。つまり認証と登録とは別で、認証は早くにうけたけれど登録はできないといった立場に東映がおかれたといえる。結局この問題も午後五時半、椿山荘で行われた大川ー北原会談ですべてが氷解し、円満に解決したわけだが、これに基づいて東映側では提出した契約書の取り下げることに決定した。しかしこんどの渋谷問題もさきの中日森のトレード問題と同じく形式だけでことを処していったやり方が道義的な問題をまっ殺していた点に批判されるべき素地があるようだ。
野球協約起草委員・赤嶺昌志氏の話 協約での対面契約とは、単に当事者が顔を合わせるだけでなく、その席で自分でサインとなつ印をすることが必要条件となっている。この一つが欠けても対面契約とは認められない。
渋谷誠司選手の略歴 青森県弘前商高出身、33年日通弘前支店に入社、軟式で活躍して認められ、34年末、浦和支店転勤とともに硬式へ復帰、妻島(大毎)の控えから頭角を現し、今夏の都市対抗では電電九州戦で10打者から7三振を奪う力投で脚光を浴びた。1㍍79、69㌔、左投左打、22才。
大川東映社長の話 北原君がたずねてきたのでいろいろ話し合ったが、円満に解決し、僕も納得した。お互いに同じ機構の内にいるのだから、このようにスムーズにことをはこぶのが当然だろう。
国鉄北原代表の話 問題が問題だけにすぐ大川さんと相談したところ、快く大川さんも了解してくれた。在京球団同士なので変なしこりがあっても困るのでお伺いしたわけだ。
渋谷投手の話 目標はありません。来年すぐといっても自信がありませんが、二、三年後は努力すればなんとなると思っています。