1970年
再就職の道を決めるには、斎藤喜にとってはプロ野球界から身を引くことの方が先だったのだろうか。自分で決めこんでしまった五年目の転機を、なんとかしなければいけないと思いこんでしまったのである。宝塚市にあったマンションも十一月二十七日で引き払ってしまって「一家三人の生活のメハナが着くまで、船橋のオヤジの家の隅の方で居候でもさせてもらいます」といって、郷里へ帰っていった。ウエーバー会議では、そんな斎藤喜を中日が指名したのだが斎藤喜は中日の関係者と一度も会っていない。斎藤喜は中日の関係者と一度も会っていない。斎藤喜にすれば、中日がどんな形で自分を必要としているのかわからない。指名した中日は、斎藤喜と直接会う前に、阪急を通じて、斎藤喜の翻意をうながしている。阪急が斎藤喜の説得に成功し斎藤喜がもう一度プロの世界で自分の限界を試してみようという気になってから、中日は斎藤喜と話し合うつもりでいる。ところで、宝塚のマンションを引き払って船橋に帰ってしまった斎藤喜が、阪急と話し合う機会は困難になり遠のいたように思われていたが、近頃になって、再出発をはかったはずの斎藤喜の気持は、指名した相手が中日ということもあって、多少ぐらいついてきていると伝えられている。というのは、中日の新人王谷沢は習志野高時代の同僚、といっても中日がいまや谷沢と斎藤喜を同じラインで扱ってくれるはずはないが、斎藤喜の胸の中で「谷沢と一緒なら、もう一度あのころの野球に対する情熱を取り戻せるかも・・」という気持も芽生えかけているからである。そうした心境を斎藤喜は次のように語る。「自分自身にも、どうしても辞めなければならないという明確な理由はないんです。強いていえば、その人生の間に何度か訪れる転機を確実に生かして、自分の人生を築いていきたいといったところです。でも中日さんが指名してくれたのだから、一度は中日さんのお話を聞いてみるのが筋であり順序だと思うんです。近日中に自分の方から中日さんに連絡をとって話し合ってみたいとは思っています」その結果、中日がどのような形で自分を必要としているのかがわかったら、斎藤喜は「中日で再出発してみます。これも転機を生かすひとつの道かもわからんですからね」という。ただなんとなくヌルマ湯の阪急にいて、そのまま終ってしまいそうな自分の野球人生だが中日に移れば、あるいは別の野球人生が待っているかもわからないというわけだ。「マンネリから抜け出したい。自分の力でなにかをやる」それが斎藤喜の阪急退団の理由だとすれば、運送会社で車の運転をするのも、中日で気分一新し情熱を燃やすのもマンネリ脱出の道にはなる。どちらを選ぶか、斎藤喜は「年内には決めます」といっているのだが・・・。
再就職の道を決めるには、斎藤喜にとってはプロ野球界から身を引くことの方が先だったのだろうか。自分で決めこんでしまった五年目の転機を、なんとかしなければいけないと思いこんでしまったのである。宝塚市にあったマンションも十一月二十七日で引き払ってしまって「一家三人の生活のメハナが着くまで、船橋のオヤジの家の隅の方で居候でもさせてもらいます」といって、郷里へ帰っていった。ウエーバー会議では、そんな斎藤喜を中日が指名したのだが斎藤喜は中日の関係者と一度も会っていない。斎藤喜は中日の関係者と一度も会っていない。斎藤喜にすれば、中日がどんな形で自分を必要としているのかわからない。指名した中日は、斎藤喜と直接会う前に、阪急を通じて、斎藤喜の翻意をうながしている。阪急が斎藤喜の説得に成功し斎藤喜がもう一度プロの世界で自分の限界を試してみようという気になってから、中日は斎藤喜と話し合うつもりでいる。ところで、宝塚のマンションを引き払って船橋に帰ってしまった斎藤喜が、阪急と話し合う機会は困難になり遠のいたように思われていたが、近頃になって、再出発をはかったはずの斎藤喜の気持は、指名した相手が中日ということもあって、多少ぐらいついてきていると伝えられている。というのは、中日の新人王谷沢は習志野高時代の同僚、といっても中日がいまや谷沢と斎藤喜を同じラインで扱ってくれるはずはないが、斎藤喜の胸の中で「谷沢と一緒なら、もう一度あのころの野球に対する情熱を取り戻せるかも・・」という気持も芽生えかけているからである。そうした心境を斎藤喜は次のように語る。「自分自身にも、どうしても辞めなければならないという明確な理由はないんです。強いていえば、その人生の間に何度か訪れる転機を確実に生かして、自分の人生を築いていきたいといったところです。でも中日さんが指名してくれたのだから、一度は中日さんのお話を聞いてみるのが筋であり順序だと思うんです。近日中に自分の方から中日さんに連絡をとって話し合ってみたいとは思っています」その結果、中日がどのような形で自分を必要としているのかがわかったら、斎藤喜は「中日で再出発してみます。これも転機を生かすひとつの道かもわからんですからね」という。ただなんとなくヌルマ湯の阪急にいて、そのまま終ってしまいそうな自分の野球人生だが中日に移れば、あるいは別の野球人生が待っているかもわからないというわけだ。「マンネリから抜け出したい。自分の力でなにかをやる」それが斎藤喜の阪急退団の理由だとすれば、運送会社で車の運転をするのも、中日で気分一新し情熱を燃やすのもマンネリ脱出の道にはなる。どちらを選ぶか、斎藤喜は「年内には決めます」といっているのだが・・・。