プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

斎藤喜

2018-05-03 20:42:34 | 日記
1970年

再就職の道を決めるには、斎藤喜にとってはプロ野球界から身を引くことの方が先だったのだろうか。自分で決めこんでしまった五年目の転機を、なんとかしなければいけないと思いこんでしまったのである。宝塚市にあったマンションも十一月二十七日で引き払ってしまって「一家三人の生活のメハナが着くまで、船橋のオヤジの家の隅の方で居候でもさせてもらいます」といって、郷里へ帰っていった。ウエーバー会議では、そんな斎藤喜を中日が指名したのだが斎藤喜は中日の関係者と一度も会っていない。斎藤喜は中日の関係者と一度も会っていない。斎藤喜にすれば、中日がどんな形で自分を必要としているのかわからない。指名した中日は、斎藤喜と直接会う前に、阪急を通じて、斎藤喜の翻意をうながしている。阪急が斎藤喜の説得に成功し斎藤喜がもう一度プロの世界で自分の限界を試してみようという気になってから、中日は斎藤喜と話し合うつもりでいる。ところで、宝塚のマンションを引き払って船橋に帰ってしまった斎藤喜が、阪急と話し合う機会は困難になり遠のいたように思われていたが、近頃になって、再出発をはかったはずの斎藤喜の気持は、指名した相手が中日ということもあって、多少ぐらいついてきていると伝えられている。というのは、中日の新人王谷沢は習志野高時代の同僚、といっても中日がいまや谷沢と斎藤喜を同じラインで扱ってくれるはずはないが、斎藤喜の胸の中で「谷沢と一緒なら、もう一度あのころの野球に対する情熱を取り戻せるかも・・」という気持も芽生えかけているからである。そうした心境を斎藤喜は次のように語る。「自分自身にも、どうしても辞めなければならないという明確な理由はないんです。強いていえば、その人生の間に何度か訪れる転機を確実に生かして、自分の人生を築いていきたいといったところです。でも中日さんが指名してくれたのだから、一度は中日さんのお話を聞いてみるのが筋であり順序だと思うんです。近日中に自分の方から中日さんに連絡をとって話し合ってみたいとは思っています」その結果、中日がどのような形で自分を必要としているのかがわかったら、斎藤喜は「中日で再出発してみます。これも転機を生かすひとつの道かもわからんですからね」という。ただなんとなくヌルマ湯の阪急にいて、そのまま終ってしまいそうな自分の野球人生だが中日に移れば、あるいは別の野球人生が待っているかもわからないというわけだ。「マンネリから抜け出したい。自分の力でなにかをやる」それが斎藤喜の阪急退団の理由だとすれば、運送会社で車の運転をするのも、中日で気分一新し情熱を燃やすのもマンネリ脱出の道にはなる。どちらを選ぶか、斎藤喜は「年内には決めます」といっているのだが・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斎藤喜

2018-05-03 20:11:14 | 日記
1970年

渓間代表はその話を聞いたとき唖然とした。昭和二十三年生まれの二十三歳。入団五年目で、これからという選手が「辞めさせてください」といってきたのである。「一体、どうしたというのだ」こんな質問にも、斎藤喜の答は「とにかく辞めたいんです」というだけで要領は得なかったが、理由はともかく、斎藤喜の退団の意志は堅かった。「誰でも、一度は自分のやっていることに懐疑的になったりするものだ。斎藤喜の場合も、一時的な迷いだろう。そのうち、またやる気を起すだろう」渓間代表は、こう軽く見ていた。そうして、その後に開かれたウエーバー会議に斎藤喜をリストアップしたのだった。この会議で、斎藤喜がどこからも指名されなければ、辞めるにしろ、再びやる気を起すにしろ、阪急内部の問題として、話は簡単に終わるはずだったが、ウエーバーに名前のあがった斎藤喜を、中日が指名したのである。これで話はややこしくなった。リストアップしておきながら、指名された選手が「辞める」といっては、阪急としても相手チームの中日に対して面目が立たない。「辞める気でいる選手を、なぜリストアップするのか・・・」といわれても仕方のないところ。さいわい斎藤喜の指名順位は三位以下だったため、トレードマネーが不要だっただけがせめてもの救いだった、しかし、斎藤喜は、ウエーバー会議の前に、渓間代表に対して退団を申し入れている。阪急はそれを知っていてリストアップした・・。ということが問題なのだ。斎藤喜は、最初に決意したとおり、中日に指名されたあとも「どこでやる、あそこでやるの問題ではないのです。とにかく辞めたいんですから」といって、せっかく中日に指名されながら、いまだに翻意をするところまでいっていない。今シーズンでちょうどプロ生活五年間を終ったところの斎藤喜は「人生にはいろいろな意味で区切りがあると思うんです」という論法からすれば、プロ生活は、ひとつの区切りになるのだろう。その区切りの中で斎藤喜は何をしたのか・・・・。斎藤喜は、高校時代、ことしの新人王である中日の谷沢と三、四番を打っていた。谷沢は早大に進み、斎藤喜はストレートにプロ入りした。プロ入り初のキャンプ、阪急の青田コーチがいた。腰高のきらいはあったが、大きなストライドで打球に追いつき、矢のようなボールを一塁に送る強肩。打っては痛烈なライナーを、フェンスまで持っていくシャープなパワー。「おい、あの新人、鍛えようによっては長嶋二世になるかもわからんぞ」青田コーチが思わず目を細めた。長嶋の出身地、佐倉とは離れているが同じ千葉県である。青田コーチのひと言で、斎藤喜は注目を受け脚光を浴びたこともあった。だが、シーズンが始まり、チームが優勝を争うようになっては、上層部に斎藤喜をゆっくり育てようという悠長なムードが消えざるを得なかった。勝つために、より確実性の高い選手がどんどん登用されていった。いつの間にか二軍でくすぶったまま三年が終り、四年目の昨年、シーズン途中だったが、斎藤喜は野手から投手にコンバートされた。中学時代には投手の経験もあった斎藤喜だが、なによりも投手転向の大きな要素となったのは、その無類の強肩にあった。この投手転向について西本監督は斎藤喜と膝をまじえてたっぷりと話し合った。「ボクみたいな選手が監督に不満なんかあるはずがないですよ。それどころか、辞めるなんていい出して監督には申し訳ないと思っているんです。投手に転向する時でも、監督さんはほんとうに親身になってボクのことを考えてくれていました。あんないい監督に目をかけてもらって、辞めるのはボクだって辛いんです」こう言う斎藤喜であるのに、それでも辞めようと、なぜがんばるのか・・。「未練がないといえば嘘になります。自分の青春と情熱を賭けた野球の世界ですから、できることなら、一流の選手として名をあげたい」とはいっても、現在の斎藤喜の年棒は百万円前後、月額にして八万円を少し越えるぐらいである。昨年のシーズンオフに結婚した斎藤喜はすでに一児の父親である。「いずれは辞めなければならない世界ですから、先のことを考えたら、このへんで新しい人生を考えた方がいいとも思うんですよ」はっきりいえば、ダンプの運転手をしても月収十万円ぐらいにはなる。こと稼ぎに関する限り、斎藤喜にとってはプロ野球の世界も一般の社会も変わりはないというわけだ。野球そのものの情熱とは別に、一家の長として収入を考えれば、新しい人生を切り拓くのは早い方がいい。だが、辞めるとはいったものの、斎藤喜は「知人のやっている運送会社に来ないかと誘われてはいるんですが、まだ正式に決めたわけではないのです」とのことで、はっきりした再就職の道はきまっていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺沢高栄

2018-05-03 16:53:19 | 日記
1970年

ヤクルト・寺沢高栄投手(22)は三日午後、東京・中央区日本橋の球団事務所で退団を申し出、了承された。二日にフリー・バッティング専門投手になることを要請されたが、辞退したもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺弘基

2018-05-03 12:44:20 | 日記
1971年

阪急に待望の左投手が誕生した。ドラフト第一位で指名したノンプロ日産自動車の渡辺弘基投手(24)=177㌢、74㌔、左投げ左打ち、亜細亜大出身=がその期待の新人。十六日午後一時半大阪北区の球団事務所で契約金一千万円、年棒百八十万円(いずれも推定)でサインを終わり、午後二時半から新阪急ホテルで湊同代表、西本監督らが同席して正式に発表された。渡辺投手は北九州市小倉区生まれ、思永中二年のとき父親の転任で日立市へ移転した。大学ではこの日阪神入りした山本投手の二年先輩だが、学生時代は山本投手の陰にかくれてもっぱら救援専門だった。一昨年のドラフトでは東映から第三位で指名されたが「プロでやる自信がない」とプロ入りを拒否して日産自動車に入社した。渡辺投手が頭角を現したのはことしの社会人野球。五月、名古屋市で行なわれたベーブ・ルース杯では最高殊勲選手に選ばれたほか、六月にかけて70イニングス無失点記録をつくっている。さすが二年間ノンプロのメシを食ってきただけあって発表の席でも堂々たるもの。「リーグは違うが山本には負けたくない。ぼくががんばれば山本も励みになるだろう」と早くもライバル意識をムキ出しにしていた。渡辺投手に目をつけた丸尾スカウトが「九州人らしい思い切ったピッチングをする。とくに直球がいい。タイプとしては往年の荒巻(大毎・死亡)に似ている」といえば、西本監督も「来年ほど新人に即戦力の期待をかけるシーズンはない。渡辺君はその期待に十分こたえてくれると思う」とたのもしそうに握手をかわしていた。渡辺投手は「こんど東映から移籍してきた大橋さんも大学の一年先輩だし、即戦力と期待してくれるチームのために努力します」と力強く語っていた。ことしで十九年目の梶本と伸び悩む二年生の国岡だけという阪急の左投手。それだけに渡辺の入団は大きなプラス。西本監督は「昨年の児玉につづく第三の山田に育てたい」といっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする