プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小林浩二

2018-05-04 16:22:00 | 日記
1971年

大洋がドラフト3位に指名した小林浩二外野手(21)=1㍍78、73㌔、右投げ右打ち、九州産交=は一日、熊本市辛島町の九州産交本社で大洋・引地スカウトと会い、契約金などの条件提示を受けて入団を承諾した。交渉には九州産交から岡社長、野口野球部監督が立ち会い、大筋の話し合いを終わった。小林選手は大牟田南高卒、ノンプロ九州産交の四番打者で、九州では強打強肩の持ち主として有名だった。

小林選手の話 まだ決定はしていないが、一応お世話になる気持ちになった。社長や監督の理解もあるので、スムーズにプロ入りできると思う。どこまでやれるかわからないが、大洋は打撃のチームと聞いているので、みんなに負けないよう打ちまくりたい。
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入江道生

2018-05-04 15:57:36 | 日記
1976年

広島は二十九日、広島市基町の球団事務所で入江道生内野手(24)を任意引退選手にすると発表した。
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林真人

2018-05-04 15:43:04 | 日記
1976年

阪神・林真人外野手(19)=1㍍73、68㌔、右投右打=が野球生活を断念、競輪選手を目指して第二の人生へスタートする。同選手は一昨年工藤投手とともに土浦日大高から入団。ドラフト外ながらも百㍍を12秒で走る快脚と勝負強いバッティングを期待されていた。だが、非力が災いして二軍暮らしを続けていた。今後は、競輪選手を目指し、十一月十日に故郷の茨城県取手で競輪学校の入学試験を受ける。
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奥田直也

2018-05-04 15:26:50 | 日記
1976年

阪神の新人テストが十四日午前十時から甲子園球場で行なわれた。プロ野球選手を夢見て腕に自信のある若者が七十三人参加。吉田監督、コーチ陣が見守る中でピッチング、バッティング、遠投、五十㍍タイムトライアルに挑戦した。三年前、掛布がこのテストを踏み台にして頭角をあらわしてきただけに、関係者の期待も大。だが、一次試験で三十五人がピックアップされ、第二次試験では投手五人、捕手二人が残っただけ。「ドラフト会議の結果を見て最終的には何人とるかわからない」(小林スカウト次長)狭き門だった。

「もう野球に未練はありません。きっぱりとあきらめます」第一次試験で落選した奥田直也君(24)はがっくりと肩を落とした。四十七年にロッテに入団、四十八、四十九年に中日に在籍したが芽が出ずじまい。一度は球界から足を洗ったが「どうしてもユニホームを着たくて」と二年間アルバイトをしながら再起を目指していたもの。だが「最後のチャンスと思って全力投球したんだが・・・。でもこれで決心がつきました。新しい仕事を見つけて出直しです」と第二の人生に気持ちを切り替えていた。
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