1971年
矢ノ浦国満選手、といえば、たいていのプロ野球ファンならまだ覚えていることと思う。近鉄時代、華麗な守備でパ・リーグ、ナンバー・ワン遊撃手の折り紙までつけられながら、生来のギャンブル好きがたたり、あちこちに借金ができて球界を追われるように去ったのが三年前。グローバル・リーグ東京ドラゴンズにコーチ兼選手として参加したりしたが、その後は音信が途絶えていた。その矢ノ浦さんが、プロボウラーとして再出発するウワサがあるのだ。現在、父親・保喜さんの関係で堺市の永井燃糸という会社に勤めるかたわら同市百舌頭待ちの中もずファミリーボールに通って腕をみがいている。本人は「年齢的にも三十の坂を越えたし、実力からいってもアマの域を出ない。プロ?その気がないわけじゃないけど、当分はアマで気楽にやってみます」と語っているが、同ボウル支配人の増野敬さんは「一般の人と違って足腰のバネ、手首の強さは抜群。努力しだいでは・・・」とプロ入りを進言しているとか。プロ野球から転身組では杉町(元西鉄)山本(元巨人)竜(元ロッテ)などが活躍しているが、JBC(全日本ボウリング協会)アベ193の矢ノ浦さんの名前がプロとしてクローズアップされる日も近いのではなかろうか。
矢ノ浦国満選手、といえば、たいていのプロ野球ファンならまだ覚えていることと思う。近鉄時代、華麗な守備でパ・リーグ、ナンバー・ワン遊撃手の折り紙までつけられながら、生来のギャンブル好きがたたり、あちこちに借金ができて球界を追われるように去ったのが三年前。グローバル・リーグ東京ドラゴンズにコーチ兼選手として参加したりしたが、その後は音信が途絶えていた。その矢ノ浦さんが、プロボウラーとして再出発するウワサがあるのだ。現在、父親・保喜さんの関係で堺市の永井燃糸という会社に勤めるかたわら同市百舌頭待ちの中もずファミリーボールに通って腕をみがいている。本人は「年齢的にも三十の坂を越えたし、実力からいってもアマの域を出ない。プロ?その気がないわけじゃないけど、当分はアマで気楽にやってみます」と語っているが、同ボウル支配人の増野敬さんは「一般の人と違って足腰のバネ、手首の強さは抜群。努力しだいでは・・・」とプロ入りを進言しているとか。プロ野球から転身組では杉町(元西鉄)山本(元巨人)竜(元ロッテ)などが活躍しているが、JBC(全日本ボウリング協会)アベ193の矢ノ浦さんの名前がプロとしてクローズアップされる日も近いのではなかろうか。