1971年
近鉄の原野一博投手が、何の前ぶれもなしに同僚の前からこつ然と姿を消したのは、今シーズンのオールスター戦の直後だった。球団職員の話では「事務所に現れてきょうでやめますと言った切りです」原野は竜谷高から入団、ことし四年目だった。170㌢、72㌔と小柄なのにスカウトされたのは足腰の強いバネにあったという。だが、これまでは一軍に登用されるどころか、二軍のリリーフ専門に明け暮れていた。彼は退団の理由を明確にしていなかったそうだけれども、練習に疲れ、希望が日ごとに薄れていくその心中はわかるような気がする。どこへ行ったのか。合宿の仲間だった一人はこう話す。「あいつは競輪の選手に興味を持っていたな。下半身の強さを生かして競輪選手の養成学校に通っているというウワサを聞いたことがありますよ」と。まだ二十一歳の若さ、西鉄を自ら出て名をあげているプロゴルファー尾崎の行き方を夢見て第二の人生に踏み出したのかもしれない。
近鉄の原野一博投手が、何の前ぶれもなしに同僚の前からこつ然と姿を消したのは、今シーズンのオールスター戦の直後だった。球団職員の話では「事務所に現れてきょうでやめますと言った切りです」原野は竜谷高から入団、ことし四年目だった。170㌢、72㌔と小柄なのにスカウトされたのは足腰の強いバネにあったという。だが、これまでは一軍に登用されるどころか、二軍のリリーフ専門に明け暮れていた。彼は退団の理由を明確にしていなかったそうだけれども、練習に疲れ、希望が日ごとに薄れていくその心中はわかるような気がする。どこへ行ったのか。合宿の仲間だった一人はこう話す。「あいつは競輪の選手に興味を持っていたな。下半身の強さを生かして競輪選手の養成学校に通っているというウワサを聞いたことがありますよ」と。まだ二十一歳の若さ、西鉄を自ら出て名をあげているプロゴルファー尾崎の行き方を夢見て第二の人生に踏み出したのかもしれない。