プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小川宗直

2018-06-16 22:25:28 | 日記
1987年

中日は、西武の若手投手から4本塁打を奪うなど、たたみかける打線に迫力を見せた。五回、平野の2ランに始まって落合の左越え三号、大島の二試合連続本塁打とアーチ合戦。打たれた新人の小川は西武期待の左腕。持ち味のカーブの制球、切れに欠けるところを狙い打たれた。

広島が西武の二線級投手をよく打った。高橋がいきなり本塁打して勢いをつければ、ジョンソンが二打席連続して中前打し好機をつくった。右の代打として期待される植田も左投手から3ラン、小早川も2点本塁打した。投手陣も好投したし、各選手が順調な仕上がりぶりだ。一方の西武は、新人の左腕・小川がいいカーブを投げた。中継ぎとして面白い存在だ。
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小川宗直

2018-06-16 21:38:59 | 日記
1987年

ちょっぴり突き出た腹。肩をゆすって歩く姿。そして何より、体を巻き込むように右足をあげる投球フォーム・・・。「江夏だなあ、まったく」「ホント、そっくり・・・」4月10日、西武球場。日本ハム相手の公式戦開幕試合。新人・小川宗直投手は、8回から松沼雅をリリーフ。公式戦初のマウンドを踏んだ。そして2イニング、6打者を完封。新人離れしたマウンドさばきは、かつてのミラクル左腕・江夏豊にそっくりの投球フォームとともに、ファンに強く印象づけられた。「開幕のマウンド?オープン戦と同じですよ、エヘヘ・・・」5月23日に25歳になる。度胸がすわっている。春野キャンプ初日の夜、一軍宿舎の大広間に、全選手が集まった。選手会総会で、新入団選手の自己紹介になった。「趣味はカラオケです」と、小川は答えた。場内が爆笑のウズに包まれたのは、その直後。「じゃあ1曲・・・」司会をつとめていた球団管理部・辻岡紘司氏がいい出さない前に、小川はマイクを握るのだ。そして?キィタグーニィノォ・・・歌い始めるのだった。れパートリーは30曲。「所沢の山ん中に隔離されているから、思いっきり歌えないのがつらい」という。カラオケとくれば、酒が付きもの。「ま、当然、飲みます」よく見ていると、ビールでふくらんだのではないか、と思えてくるツキ出た腹。「そりゃあ、ないですよ。でも、ま、好きですね」腹がでてきたのは、享栄高時代だという、夏の甲子園予選愛知県大会決勝で、間瀬投手(のち東海大。巨人・槙原は2年生で控え)のいた大府高に敗れた後、野球部を退部。その後、突然太り始めたのだった。「実はね」小川は恥ずかしそうに、きり出した江夏に似たフォームは、太り出したたまものだという。「腹が出ちゃって、右足が上がらなくなっちゃったんです。それまでボク、西本さん(巨人)じゃないけど、足を高くあげるフォームだったんです。腹が出たおかげで、あの程度にしか足が上げれなくなった」決して、江夏をまねたわけはでない。必然的にそうなった。というのだ。「ともかく、一軍で実績を積んでから・・・」という新人だが、内心では左のエース・工藤に負けたくない、と思っている。高校時代、名電高の工藤に投げ勝っているからだ。「いまは実力の開きがありますけど、でも・・・」ところで、その工藤に絶対に勝てないものがある。ファッション・センスだ。日々、ファッション雑誌とニラメッコ。流行の最先端をいく工藤に対し、小川はつい先日まで、ジーンズすら持っていなかった。よくいえばニュートラ。早くいえば、ゴルフズボンにゴルフセーターといったおじさんルックで歩いていた。まわりをみて、「これじゃあ、あんまり恥ずかしい」と、ジーンズ専門店に駆けこんだのだった。
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浜田一夫

2018-06-16 21:01:04 | 日記
1981年

二十九年ぶりの甲子園を目前にしながら敗れた愛知・浜田投手(三年)。敗戦が決まり、ウエーティングサークルからベンチに引き揚げてきたとたん、ガックリ腰を落とし、目を真っ赤にして「勝ちたかった」。今大会は、延長18回の引き分け再試合を含む8試合全部に登板、とくに延長戦からこの日の決勝までは6連投という厳しさだったが、全く疲れた顔を見せず投げ抜いた。この日も得意の速球とシュートで名電打線を抑えてきたが、九回につかまって押し出しとスクイズでついに敗戦投手に。「向かっていった結果だから仕方ありません」と言いながらも、この日までの熱投の日々を思い返していたのか、しばらくは立ち上がろうとしなかった。このあと、準優勝盾を手にした時も、口を一文字につぐんだまま。

愛知のエース浜田は、二十一日の二回戦で尾北打線を散発の5安打に抑えるなど好調なスタートを切った。180㌢の長身から投げおろす速球には威力がある。ただ浜田も工藤と同様前半戦は対戦相手に恵まれた感があり、真価が問われるのは四回戦以降。「球威は捨てがたいが、好不調の波があるのが心配」とスカウトの一人はみている。

愛知は打線の爆発とエース浜田の好投で、成章をねじ伏せた。1点先行された愛知は、三回一死から3連続安打で満塁とし、浜田の左犠飛で同点。続く稲川、桑原の連続長短打で3点追加の計4点を奪い、あっさり逆転した。五回にも1点追加した愛知は六回、浜田の本塁打を含む長短5安打を左腕・宮本に浴びせ、一挙6点を挙げてとどめを刺した。浜田は伸びのある直球と切れのいいカーブを内外角に決め、成章打線を寄せつけず散発の2安打に抑えた。成章は初回、スクイズで1点を先行したものの、エース宮本が前日の熱闘で疲れ、力尽きた。

「好機が来たら思い切り振ってやろうと決めていた」。日焼けした顔に流れる汗を光らせて話す浜田。延長十八回で水入り再試合となった成章ー愛知戦。六回、二死一塁に走者をおいた浜田の打球は、次の瞬間、大きなアーチを描いて中堅後方のスタンドへすい込まれた。浜田にとっては公式戦初の会心の本塁打だった。二日間、24イニングの死闘の最後を、この一打で飾った。投げても浜田は速球を武器に、猛打の成章を6安打に抑える好投。「打ち合いなら負けない。浜田にまかせるしかない」という鹿島田監督の期待にこたえ、二日間で272球を投げ抜いた。豊田市の高岡中では捕手。愛知へ入学後、肩の強さを買われて投手に転向したが、ともすれば「人に頼る精神的甘さ」(同監督)があった。しかし最後の夏を迎えたこの大会では、エースの自覚に燃えて監督の信頼も獲得。この成章戦もひとりでマウンドを守り、成章の宮本に投げ勝った。だが、浜田には前日、5打数1安打と宮本に抑えられ、引き分けに終ったのが、よほど悔しかったらしく前夜、名古屋市内の合宿所に帰ってから、なかなか寝つかれなかった。「よし、あすは打って勝とう」。布団の中で心に誓っての球場入りだった。

愛知の浜田は成章の再試合以来、絶好調だ。重いストレートを武器に、カーブも切れも抜群で安定している。「浜田がいつものように投げてくれれば・・・」と鹿島田監督。だが打線が連戦疲れで下降気味なのが気になる。
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依田栄二

2018-06-16 19:33:56 | 日記
1979年

(甲府商時代)

依田は右の本格派。二年生だが一年の時からマウンドを踏んでいるだけに駆け引きがうまい。

第一商は依田の速球、カーブにバットが合わず散発2安打。これといった反撃のチャンスもなく終わった。

1980年

ピカ一の本格派右腕・依田を中軸に、投打のバランスがとれた強豪。県大会優勝の最短距離にいる。本大会へ進出しても通用するだけの実力を備えた、数少ないチームの一つ。エース依田は181㌢、76㌔の恵まれた体を生かし、上手から伸びのあるストレートを投げ込む。手もとで伸びるカーブもコントロールがついた。気をぬく悪いくせも直り始めている。

必死に粘る甲府商。九回裏、二死ながら、走者を二塁に置き一打同点の好機に、期待の打者加勢の打球は平凡なライトフライ。巨摩樋口右翼手のグラブにこの打球がすっぽりと収まった瞬間、三塁側の巨摩応援席はまるで優勝したような大歓声がこだました。勝った巨摩ベンチはレギュラー、控え選手が抱き合って飛びはね、負けた甲府商ナインはただただ涙のシーンがしばらく続いた。互いに初戦同氏の対決だったが、両チームともそれほど勝ちたい一戦だった。大会前の組み合わせ抽選会では例年、初戦での話題の対決が生まれるが、ことしの抽選会の最大の話題となったのが、この日の甲府商ー巨摩の対決。巨摩は春の大会準優勝の第二シード。一方の甲府商はシードこそされないものの、チーム力では今大会随一の評判が高く、大会関係者のなかには「事実上の決勝戦」と話す人もいたほど。試合前、秋山嘉昭巨摩監督は「勝負は3点勝負、3点取れれば勝てるし、3点取られれば負ける」、渡辺和夫甲府商監督も「3、4点の勝負」と語り「二試合目以降のことはまったく考えていません。ことしは初戦にすべてをぶつけたい」と異口同音の決意を語った。その両チームの決意がそのまま試合内容にも現れ、今大会最高の応援団、高校野球ファンで埋まったスタンドは初回から熱狂した。巨摩が先制、すぐに甲府商が逆転、さらに巨摩が劣勢を逆転、九回裏に甲府商が同点機をつくる試合経過は前評判通りの好試合。豪腕エース甲府商依田の速球、それに食らいつく巨摩打線、甲府商小沢中堅手のファインプレーなど、ネット裏でも「これまで十四試合のなかで文句なく最高のゲーム」で一致した。惜しくも敗れた甲府商のエース依田は群を抜く速球を持ちながら悲劇のエースとも一部で語られていた。昨年秋の県大会、決勝で敗退、ことしの春の県大会、決勝で敗退。ことしの春の県大会では初戦で伏兵甲府南に屈するなど、初戦からのシード校との対決に不安を持つファンもいたが、その不安が本物になってしまった。三年生の依田投手はこの試合で高校での野球生活を終えた。敗戦が決まった瞬間、悔し涙が顔にあふれ「そんなことはできないけど、もう一回やりたい。やれば勝てる」と泣き崩れたが、しばらくして「きょうの調子は最高によかった。仕方がありません」と胸を張った。渡辺監督も「選手は精いっぱいやってくれた。なにも言うことはありません」と全力を出し切った選手をねぎらっていた。序盤戦としてはまれに見る好試合だった。
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成田幸洋

2018-06-16 19:04:09 | 日記
フォーム・・・下手投げ、球種・・ストレート、カーブ、シュート。

(3年生になりフォームをチェンジした可能性あり)

1978年

(八幡浜高校時代)

成田も本格派でコーナーを攻めるのがうまい。

1979年 

(八幡浜高校時代)

投攻守三拍子そろったなかでも安定度抜群なのが投手力。エース成田は春のチャレンジマッチ前に肩を痛め、四国大会に出場せずじまいだったが、その後すっかり回復、6月3日の新居浜商との練習試合で五十余日ぶりに登板、「六、七分の出来」(勝川紘史監督)で被安打3で完封勝ちした。184㌢の長身をいっぱいに使っての下手からの速球は威力、制球力とも十分。シュートも相変わらずよく切れる。夏をめざして、伊方の自宅から学校まで片道16㌔の道のりをずっと走って登下校した鍛錬の成果がどう実を結ぶか。

八幡浜工・中藤、八幡浜・成田両エースが持てる力を振り絞り力の入ったすばらしい投手戦は、互いに譲らず延長十四回、3時間58分にも及ぶ1点を争う死闘を展開したが、十四回表その中藤が自ら決勝点をたたき出して、優勝候補の一つといわれていた八幡浜を振り切った。八幡浜が一回表松本の三遊間適時打で先制すれば、二回表八工はダブルスチールから捕逸を誘ってすかさず同点とした後は、同投手の巧みなコンビネーション、球威のある投球を両チームとも打ちあぐねて0の行進。延長に入って八工がようやく成田の球をとらえ始める。十一回初めての連打、十二回一死三塁とムードにのったところで十四回のヤマ場を迎えた。一死後、三好が中堅横へ安打、成田のワイルドピッチで二進、続く岩田は二ゴロに倒れたが二死三塁。中藤はファウルなどで粘り抜いた末、成田の外角高めの甘いカーブをのがさず中前打して、三好が歓喜のホームを踏んだ。それにしても春の覇者八幡浜打線を沈黙させた中藤は、適度に荒れ、直球がホップするように打者の手元でよく伸びた。また十四回裏のピンチにスクイズを失敗させるなど好投だった。八幡浜は中藤の球を打ち込めなかったのが痛く、マウンドで孤軍奮闘する成田を擁護できなかったのが敗因。十四回裏も一死三塁としながらスクイズ失敗するなど自ら甲子園の野望をつぶしてしまった。

「あの一球甘かったですねェー」と中藤に打たれた投球を語る成田、その顔から大粒の汗がしたたり落ちる。延長十四回、打線の援護もなく投げつづけての一球「バテなかったけど打たれて悔しい」。最後の夏が一瞬にして飛んでしまった。十四回、四時間、交互にマウンドに立ち投げ合った中藤とは伊方中時代ともに野球をした仲、それだけに余計「負けたくなかった」。その投げ合いでは負けなかったが、思いもかけぬ中藤の一発に泣いてしまった。
伊方から毎日16㌔、往復32㌔の道のりをただひたすら走って大会に備えてきた成田、その努力と汗もかつての仲間に打ち砕かれ故障に泣いた春の大会に続いてまたしても悲運のエースとなった。しかし、その努力と健闘はたたえられる。
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浜田知明

2018-06-16 18:40:47 | 日記
1977年

(長島高校時代)

エース浜田は剛速球投手で、チーム一の強打者。181㌢の長身から投げおろす剛速球は県下一という評価も。コントロールがよいうえにカーブ、シュートが決まると高校生ではちょっと手が出ないほど。チームの大黒柱だ。四番の浜田は春からの試合でもたびたび本塁打を放ち、走者を返して点をかせいでいる。

チームの大黒柱であり、一昨年同校で活躍した兄の泰隆投手(現在・日本石油)にひけをとらない実力の持ち主。
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