プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

浜田一夫

2018-06-17 21:40:46 | 日記
1981年

「小松さんを目指し、原さんと対決したい」-。中日期待のドラフト2位浜田一夫投手(愛知高)=180㌢、78㌔、右投げ右打ち=は十四日午後三時三十分、名古屋市中区の中日ビル内の「クラブ東海」での入団発表で、でっかく夢いっぱいの抱負を語った。晴れの舞台で球団関係者から「剛速球」の声が乱れ飛び、近藤監督も「感じる!」と一目ぼれ。背番号はズバリ「51」(剛腕)だ。なお契約金三千万円、年棒は三百万円(推定)。「練習をあまりしていないから3㌔ほど太りました」。浜田はベストの78㌔を上回る81㌔の頑丈そうな体を学生服に包んで胸を張った。テレビカメラのライトにも動じた感じはさらさらない。童顔にキラリと光る眼光とあいまって大物の雰囲気が漂う。この浜田に堀田社長が「槙原、工藤君と並んで高校三羽ガラスと称されたが、現場から浜田君が一番であるとの意見であった。ドラゴンズで大きく花開いて欲しい素材」と期待度を語る。この熱い歓迎ぶりに浜田は「小さい時から中日ファン。夢がかなってうれしい」と言葉を弾ませると「槙原もそうですが、高卒でプロ入りした人たちには負けられません」と決意を表明だ。夢は「小松さんタイプの速球投手。原さんと一日も早く対決したい」こと、それまでは二軍で下半身の鍛錬と技術のアップに励むと思う。大器入団で、二軍首脳は心を躍らせる。来季は二軍コーチになる法元スカウトは「抜群のスタミナ、強ジンな肩とヒジ、これがプロ投手としての魅力」と言えば、水谷に軍投手コーチも本場米国の投手にイメージをかぶせる。「日本投手には珍しく球が速くて重い。快速球というより剛速球です」と。

この二軍首脳が「じっくり大きく」と口をそろえると、近藤監督は「すぐに上がってくる器」と取り合いだ。「初対面でピンときた。ボクの勘は当たる。体つきはなど全体の印象から、近い将来に中心的な投手になる」と鈴木、曽田の初対面と同じ感じ方と明かす。その浜田に恩師鹿島田監督は「努力」とハナムケの言葉を贈れば、両親(浩司さん、政子さん)は「高校時代の頑張りを忘れるな」と激励。晴れて中日浜田となったルーキー君。「きょうから身を入れてトレーニングします」と、エース目指して、アタック、ダッシュ。
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小川宗直

2018-06-17 21:15:14 | 日記
1980年
(享栄高校時代)

投手陣は小川、田中の両左腕。小川はストレート、カーブのコンビネーションの巧さが持ち味だが、制球力、球威ともいま一歩。

ベンチから伝令が飛んでくる。心配そうな内野陣が、何度もマウンドに寄ってくる。大量リードはあっても、波乱の多い雨の終盤戦。手負いの名電の反撃はすさまじい。背番号2ケタの補欠選手でさえ、バットを振り切ってくる。「ここまできたのだから、崩れてなるもんか!」。享栄の左腕エース小川は、4連投の体に気合を入れ直し、甲子園に通じる関門をまた一つくぐり抜けた。被安打14、6失点。記録的にはほめられた内容とはいえない。それでも、強打名電の三番鈴木をノーヒット、四番稲垣には、初回不運な当たりの2点適時打を許したが、そのあとの得点機はぴしゃりと抑えた。ゲーム終盤は、1点ごとにボールをふいて投げる悪コンディションなのに、四球走者を二人しか出さなかったのも勝因となっている。名電のパワーは抜群。鈴木、稲垣には、監督の指示もあり、カーブ攻めに徹した。サイドから、打者のふところに食い込む球が効果的。鈴木、稲垣は、この球を警戒し過ぎて、一つ前の球、外角のボールを、あわててひっかけている。「カーブの制球力がついたのは、フォーム改造のおかげ」。上から投げていたときは、ノーコンピッチャーだった。春の県大会のあと、柴垣監督にいわれ、半信半疑に横から投げたら、とたんに、思うコースに球が走り出した。監督が、小川のカーブにピタリの投法を見つけてくれたのである。関門はあと一つ。「大会前は、ベスト8に残れたら本望と思っていたが、ここまできたのだから、何がなんでも甲子園に行きたい。疲れたなんていったら、それこそみんなにふくろだたきにあいますよ」と笑顔の小川(178㌢、72㌔)。決勝戦が雨で一日のびたのは「天の恵み」だった。

享栄のエース小川は左腕のサイドという変則型。速球とカーブで内外角、高低をゆさぶる。球をしぼらせないと小川のゆさぶりペースにはまるが、小川はスタミナに不安がある。大府としては前半を食いさがりたいところだ。
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