プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

西村英嗣

2018-06-19 20:29:49 | 日記
1986年

中日の堀込、谷木両スカウトは二十八日午後五時三十分から、ドラフト3位指名の柳川高・西村英嗣投手獲得のため福岡県柳川市の料亭「御花」に西村投手、父親・守さん(47)、母親・ヒデ子さん(45)と福田精一同校監督を招いて第一回入団交渉を行なった。この結果、中日が提示した契約金三千五百万円、年棒三百六十万円(いずれも推定)の条件で合意、西村投手の入団が内定した。「すっきりしました。中日は昔から好きだったチームだし、これからは信頼されるピッチャーになりたい」と抱負を語る西村投手。今夏の福岡県大会では準決勝で敗退して甲子園経験はなく知名度はそれほどないが、九州では注目の右腕だった。ストレートは140㌔、変化球もカーブ、シュート、フォークを持ち、制球力も抜群。高校通算成績50勝7敗、防御率1.47、1試合平均10奪三振の記録がすごさを物語る。実力は福田監督の折り紙付き。真弓(阪神)若菜(大洋)立花(西武)ら一流プレーヤーを次々とプロに送り出しているが「素質だけなら彼らに負けない。思ったより早く上(一軍)で使えると思いますよ」と言う。もっともマウンドで見せる強気なピッチングとは違って西村投手からは元気な答えが返ってこない。「希望や夢なんてまだ言えないです。不安の方が大きくて・・・」でも大丈夫。父親の守さんがきっぱりと言った。「あいつは全然闘志を面に出さんやつなんですよ」と。控えだったチームメートの樽見投手も巨人に4位指名されている。これからもライバル。西村投手の心の炎は燃え盛っているに違いない。

43年7月16日、福岡県山門郡大和町、父・守さん(47)=漁業、母・ヒデ子さん(45)、姉・尚弥さん(20)=大和町役場勤務 遠投105㍍ 百㍍走 12秒5 球歴 大和小五年の時から硬式少年野球「柳川ボーイズ」で野球を始める。大和中でエースとなり、中三の秋には北九州大会優勝、柳川高では一年秋から「1」番 稲尾ばり 父が漁業ということで小さい時から船に乗っており、足腰は自然に鍛えられた 好きな選手 牛島選手 血液型 B型
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浜田一夫

2018-06-19 19:34:47 | 日記
1981年

中日がドラフト2位で指名した愛知高の浜田一夫投手(18)=180㌢、76㌔、右投げ右打ち=の入団が十日決定した。担当の法元スカウトは同日午後二時から豊田市本田町の自宅に両親と本人を訪ね、一回目の条件提示を行なった。浜田家側ではすでに中日入りを決め、この日を待っていたというが、その言葉どおりわずか十分間で交渉が成立。晴れて「中日・浜田」が誕生した。契約金は三千万円、年棒は三百万円(いずれも推定)。正式契約と入団発表は十四日午後三時、名古屋市中区の「クラブ東海」で行なわれる予定。

抜けるような青空が豊田地方を覆っていた。十分間のスピード成立。交渉を終えた浜田家側も、まるで、この日の空のごとく晴れやかだったのに違いない。「これでホッとしました」浜田が屈託のない笑顔を見せれば、父親・浩司さん(43)も「決定と思っていても、実際にこの日(仮契約調印)を迎えないことにはねえ」と、実にホッとした表情。指名選手の立場から、仮契約ながら晴れて中日・浜田一夫に。応接室には家族のそんな安堵(ど)感が漂っていた。「だってねえ」いまだから話すというふうに浜田がいった。「ボク、ドラフト指名の前から家の近くを走っているんです。でも、走っていてもいま一つ身が入らなくて」が、きょう十一日からはもう違う。「ええ、中日選手の自覚をもってこれまで三十分走っていたのを五十分に延ばします。トレーニングになわ跳びも入れて・・・」そんな感情を、浩司さんもいった。「ほかの皆さんはどんどんどん決まっていくでしょ。会社(トヨタ自工)でもあんたのとこはいつっていわれ続けてねえ。なにをやっても手につかなかった」またまたホッと安堵の色だ。「ま、そういったわけでして」ようやく法元スカウトが正座した。交渉経過の説明である。「入団を快く承諾してもらった。こちらの提示額(契約金三千万円、年棒三百万円=いずれも推定)も喜んでいただけました」と笑顔で披露。そして「浜田家は近い将来、必ずや中日の大黒柱となってくれるはずです」と、大きく胸を突き出した。それは来季、二軍チーフコーチとして浜田を見れるという自信と、スカウトとしての目がいわせた言葉に違いない。ドラフト会議では単独指名。しかし、浜田の実力は決して単独ものではないのだという。「彼の獲得には計八球団で争った。ところが彼の強い中日志望と球団の努力でドラフト直前、七球団がおりたわけなのです」武器は、ズシリと重い剛球である。高校一年のときは捕手で出発。「ところが浜田の投げる球は低くてグンと伸び、三塁手がどうしても捕れなかった」(愛知高・鹿島田監督)投手転向となったエピソードが、そっくりそのままセールスポイント。中日久々の本格派投手の入団。タカマサ二世の言葉もついた。「槙原に負けるな」が地元ファンの声でもある。「プロは厳しい世界。よほど気を締めないとやっていけないと思います。でもボク、きょうの感激を忘れず、とにかく頑張ります」抜けるような青空に向かって浜田は精いっぱいの声を張り上げた。そうだ。ガンバレ!浜田である。

浜田一夫投手は、まさにスポーツ一家の申し子だ。父親・浩司さんは軟式野球で不動の四番打者。母親・政子さんは高校時代(九州・熊本家政高)陸上選手で、スプリンター(二百㍍)で鳴らし、姉の由美子さんは高岡中時代陸上部の砲丸投げ選手。こうしたスポーツ一家の血を受け継いで浜田は野球へと進んだ。そして高岡中学(豊田市)時代は強肩強打の捕手として知られ、愛知県下の高校が浜田獲得の大争奪戦を演じたというエピソードがある。浜田は愛知高・鹿島田監督の人柄に引かれて愛知高に入学。高校一年のとき地肩の強さを買われて投手に転向した。転向直後は制球が意のごとくならずに苦しんだが、持ち前の根性で克服。二年夏の愛知大会でベスト4進出の原動力となって頭角を現した。三年生になって技術的、精神的にも急成長、またチームの大黒柱としてナインの信頼も得て、この年の夏の愛知大会で、急激に球威を増し、大府の槙原、名電・工藤以上の評判となった。まだ未完成だが、捕手出身の投手独得の重くて力のある球を投げる魅力いっぱいの若竜である。
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