1987年
中日は二十一日、名古屋市中区栄の中日ビル内クラブ東海で、ドラフト外で獲得した新日鉄釜石・高島覚投手(22)=180㌢、72㌔、右投げ右打ち、明大・山中勝己内野手(22)=174㌢、74㌔、右投げ右打ち、智弁学園高・辻本弘樹投手(18)=183㌢、79㌔、右投げ右打ち=三選手の入団を発表した。背番号は高島「46」、山中「55」、辻本「51」。伊藤球団代表が「近い将来の柱として、来年からの即戦力として豊富な人材がそろった」と期待を語った。高島は入社二年目からエースで活躍。140㌔台の速球とフォーク、カーブを駆使して都市対抗にも出場した本格派。即戦力と期待され「自信はある。先発、抑えどちらでもいい」と力強く話した。山中はPL学園高三年の夏、三塁手として甲子園で優勝。明大では肩の故障で実績はないものの「後輩の立浪には負けない。肩の心配はない」とガッツを強調した。辻本は甲子園二度出場の本格派。二年の春に肩を痛めたが「(肩は)完治しました。心配はない。小松さんのように速球で押す投手になりたい」と目を輝かせていた。