プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

藤村雅人

2018-09-15 23:43:32 | 日記
1979年

藤村雅人(吉備)3年 右投げ。182㌢、70㌔。

直球、変化球を緩急自在に繰る本格派。三年生になって打者とのかけ引きを覚え、安定感が出てきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大津一洋

2018-09-15 21:07:29 | 日記
1980年
(高校時代)

「カーブさえ決まってくれたら・・・」一、二回、集中打を浴びてあっという間に5点を失った熊本工・大津一洋投手(三年)は悔やんだ。「ボクは直球とカーブしかありません。カーブが決まらないとピッチングの組み立てができなくなるんです。打たれたのは全部ストレート。調子はよかったんですが・・」力を出しきれずに散った大津投手は腹立たしそうに何度も右腕をたたいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大久保美智男

2018-09-15 19:37:11 | 日記
1978年

精鋭四十九チームの中から好投手、好打者を拾ってみるとーただ一人、予選無失点で甲子園のマウンドを踏むのが仙台育英・大久保投手。1㍍83、78㌔の大柄の体から投げおろす右腕からの重い速球とカーブがいい。制球もいいし、打者との駆け引きもうまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高島覚・山中勝己・辻本弘樹

2018-09-15 19:12:37 | 日記
1987年

中日は二十一日、名古屋市中区栄の中日ビル内クラブ東海で、ドラフト外で獲得した新日鉄釜石・高島覚投手(22)=180㌢、72㌔、右投げ右打ち、明大・山中勝己内野手(22)=174㌢、74㌔、右投げ右打ち、智弁学園高・辻本弘樹投手(18)=183㌢、79㌔、右投げ右打ち=三選手の入団を発表した。背番号は高島「46」、山中「55」、辻本「51」。伊藤球団代表が「近い将来の柱として、来年からの即戦力として豊富な人材がそろった」と期待を語った。高島は入社二年目からエースで活躍。140㌔台の速球とフォーク、カーブを駆使して都市対抗にも出場した本格派。即戦力と期待され「自信はある。先発、抑えどちらでもいい」と力強く話した。山中はPL学園高三年の夏、三塁手として甲子園で優勝。明大では肩の故障で実績はないものの「後輩の立浪には負けない。肩の心配はない」とガッツを強調した。辻本は甲子園二度出場の本格派。二年の春に肩を痛めたが「(肩は)完治しました。心配はない。小松さんのように速球で押す投手になりたい」と目を輝かせていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西本道則

2018-09-15 16:14:58 | 日記
1955年(高校時代)

柏原はシュートの西本が買われているが、浜坂の成長も目を見張るものがある。

柏原高校は野球部創立三十余年という長い球史のうちで今年ほど充実した年はないといわれるほどの油がのっている。植杉校長自らベンチで指揮をとるなど全校挙げて「今年こそは・・・」の意気に燃えている。今年に入ってからの対戦成績は八戦七勝(鳳鳴、社に各二勝、篠山農三田、西脇に各一勝)わずかの県下高校野球大会で芦屋に5対4で惜敗しただけという活躍ぶり。チームの原動力となっているのは投手西本で、小柄ながら右腕から投げこむ速球は威力があり、対西脇戦で二十一の三振を奪ったのをはじめ、毎試合平均十三の三振を取っている。とくにコントロールが良くて出来、不出来の差がないのが何よりの強味。

七勝中五勝は昨年秋、肩がよいのを見込んだ大内部長が外野から転向させた西本投手が稼いだのだから面白い。西本は豊かなスピードを生命としアウトローの速球、インシュート、カーブを短期間にマスター、試合平均十五の三振を奪う快調ぶり。対西脇戦には二十一人を三振に討ち取り、怪腕西本の名を上げた。またことし入学した前田は球質が西本そっくりだが氷上中で活躍していたので試合度胸は十分、完投能力があって将来が楽しみだ。

東芝時代

1963年

立ち上がり乱戦を思わせた決勝戦であったが三回からは東芝西本、大昭和渡辺の投手戦となり、三回以後、大昭和打線を散発3安打に押えた西本の力投で東芝がからくも逃げ切った。東芝は一回2四球と和泉、春原の連続安打で3点、二回にも岩本、永淵の好打で加点。これに対し、大昭和も一回は敵失で1点、二回には玉置、野村の安打と石原の三塁打で1点差にまで追い上げたが、三回からはテンポの速い西本の速球とシュートを打ちあぐんで、チャンスは皆無。

西本は打気にはやる大昭和打線に対し小さなカーブでカウントをかせぎ、コーナーをつく速球で勝負した。この配球がまことに巧みだったので、大昭和は全く手が出ず、二回以後は三安打に押えらてしまった。

1957年

東映ー大映四回戦(駒沢)で大映の西本投手は1イニングわずか6球投げただけで2勝目を記録したがこの人の1勝目も対東映二回戦(後楽園)で1イニング16球投げて獲得したもの。全く運のよい投手だ。これで大映は7勝したが、依然全部元高橋組のかせいだもので、大映組は5戦全敗。もし合併しなかったら一体どういうことになっていたろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする