プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

呂建剛

2020-11-13 12:48:59 | 日記

2001年


中国から初めて日本のプロ野球界に飛び込んだ、中日の呂建剛(ル・チェンガン)投手(22)が、一時チームを離れ、ナショナルチーム(天津)のカナダ、米国遠征に同行している。2008年の北京五輪に向け、中国がチーム強化策の一環として企画した。「中国はコーチの数が少ないし、細かい技術を教えてもらえない」と来日し、三年目になる。練習態度はまじめで、独学で日本語をマスターした。今では監督、コーチとの会話にも不自由はない。中日のコーチ陣の指導で来日時よろ体がひと回り大きくなり、直球とカーブしか投げられなかったが、フォーク、スライダーを覚えた。

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サムソンリー

2020-11-13 12:39:16 | 日記

1998年


今季2度目の先発となったサムソンに、横浜打線がほんろうされた。「(5月に対戦した)前回より、直球、スライダーとも断然良かった」(高木打撃コーチ)といい、三回まで、中根の一発だけの1安打、6三振に抑え込まれた。しかし、球速の落ちた五回には3安打で2点を奪いKO。高木コーチも「前半は驚いたが、スタミナ不足。あと少しで攻略できたんだが」と、中日の早めの継投に、無念さをあらわにした。

 

1999年

 

安定感のある投球を見せた中日のサムソンは、「去年は球が高くて打たれた。低めに投げることだけを考えたのが良かった」、1点を失い、なお無死一、二塁のピンチが残った七回も、鋭いフォークで大村、立川を連続三振。中継ぎ、先発と「いろんなバリエーションで使えるな」と、星野監督から合格点をもらった。

 

中日・星野監督 サムソンはリズムが悪いが、カーブがよく入っていた。(5番目のローテーション投手が固まったか、という問いに)3番目からはクジや。

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